うなくだけた口調でやっていただきますわ。ちっとも、御遠慮はいりませんから、なんなりとおっしゃっていただきとう存じます」
 顎十郎は、へへえ、と、だらしなく笑って、
「あまり調子がいいと、口説《くど》くかも知れませんぜ」
 小波は、あら、と小さな声で叫ぶと、サッと顔を染めて、
「そこまでは、ちと行きすぎます」
「いやア、いまのは冗談。取消す、取消す」
 小波は、それを聞き捨てて、裾さばきも美しく、しとやかに立ちあがると、床ぎわの乱れ籠のそばへ行き、定紋つきの羽織を両袖をさしそえながら持って出て、足袋の爪さきを反らせながらスラスラと顎十郎の後へまわり、
「長雨のあとで、少々、冷えますようですから、お羽織をおかけいたします」
 並九曜《ならびくよう》の紋のついた浜縮緬《はまちりめん》の単衣羽織《ひとえばおり》をフワリと着せかけると、また、もとの席までもどって行って、首をかしげながらつくづくと眺め、
「よく、おうつりになりますわ」
「てへへへ、馬子にも衣裳というやつ」
「その洒落は古うございます」
 と、はね返しておいて、両手をつかえて、
「御用をうけたまわります」
 顎十郎は、恐悦のていで長い顎のさきを撫でながら、
「そう改まれるとちと気がさすが、せっかくのことだから、遠慮なく申しますぜ。……酒のほうは、すこしねばるが、花菱《はなびし》に願いましょう。銚子《ちょうし》では酒の肌が荒れるから、錫のちろりで、ほんのり人肌ぐらいに願います」
「かしこまりました」
「……最初は、まずお吸物だが、こいつは鯛のそぼろ椀ということにいきましょう。皮を引いたらあまり微塵《みじん》にせずに、葛もごく淡《うす》くねがいます。さて、……ちょうど、わらさの季節だから、削切《けずりき》りにして、前盛《まえもり》には針魚《さより》の博多《はかた》づくりか烏賊《いか》の霜降《しもふり》。つまみは花おろしでも……」
「かしこまりました。煮物はなんにいたしましょう」
「ぜんまいの甘煮《うまに》と、芝蝦《しばえび》の南蛮煮《なんばんに》などはどうです。小丼《こどんぶり》は鯵《あじ》の酢取《すど》り。若布《わかめ》と独活《うど》をあしらって、こいつア胡麻酢《ごます》でねがいましょう」
「お蒸物《むしもの》は?」
「豆腐蒸《とうふむし》と行きましょうか。ごくごくの淡味《うすあじ》にして、黄身餡《きみあん》をかけてもらいましょう。焼物は、魴※[#「魚+弗」、第3水準1−94−37]《ほうぼう》の南蛮漬。口がわりは、ひとつ、手軽に、栗のおぼろきんとんに青柳《あおやぎ》の松風焼《まつかぜやき》。……まア、だいたい、これくらいにして、後はおいおい、そのつど追加するとし、とりあえず、いま言った分だけをここへずらずらッと並べていただきましょう」
 小波は、改まった会釈《えしゃく》をしてひきさがって行ったが、間もなく、爪はずれよく足高膳《あしたかぜん》に錫のちろりをのせて持ちだし、つづいて、広蓋《ひろぶた》に小鉢やら丼やら、かずかずと運んで来て膳の上にならべる。
 顎十郎は呆気にとられ、
「これはどうも、まさに即意当妙《そくいとうみょう》。こうまで水ぎわだっていようとは思わなかった。こういう芸当を演じるには莫大な無駄と費用がかかるもの。うすうすは察していたが、小波さん、あなたの殿様てえひとは、よほど派手な方とみえますな。贅沢といっても、これほどのことはなかなか出来にくい。お留守居にはずいぶん通人も多いが、ちょいとこいつは桁はずれ。まったく、感じ入りました」
 小波は、愛らしくうなずいて、
「殿様は能登《のと》様の御勘定役《ごかんじょうやく》。また、奥様のお実家は江戸一のお札差《ふださし》の越後屋《えちごや》。したがって、たいへんご内福で、それに、このたび、鹿児島の英吉利《えげれす》騒動につらなって藩の武器買入れのため、御用金をたんとお預りになっていらっしゃるので、ついこの裏のお金蔵には、黄金《こがね》が夜鳴きしているそうでございます」
「ほほう、時節柄、それは物騒な話。してみると、今宵のお招きは、そのへんのことにかかわったことであるやも知れん」
「そのへんのことは、もちろんあたくしどもの存じよりにないことですけど、噂によりますと、このほどから、このお金蔵を狙っているものがあるというようなこともチラチラ耳にいたしております。もっとも口さがない中間どもの噂ですから、どこまで本当のことですやら。……それにつけても、あなたさまのような、江戸一といわれる捕物のご名人が、ここでこうして控えておいでになるんでは、いかな盗賊どもも迂濶《うかつ》には手出しもなりますまい。ほんとうに、こんな心丈夫なことはございませんわ」
 急に気がついたように、婀娜に身体をくねらせながら、ちろりを取りあげると、
「……そ
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