顎十郎捕物帳
日高川
久生十蘭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鱗《うろこ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|南方有[#レ]塚《なんぽうにつかあり》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#歌記号、1−3−28]

 [#…]:返り点
 (例)南方有[#レ]塚
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   金の鱗《うろこ》

 看月《つきみ》も、あと二三日。
 小春日に背中を暖めながら、軽口をたたきたたき、五日市街道の関宿の近くをのそのそと道中をするふたり連れ。ひょろ松と顎十郎。
 小金井までの気散じの旅。名代《なだい》の名木《めいぼく》、日の出、入日はもう枯葉ばかりだが、帰りは多摩川へぬけて、月を見ながら鰻でも喰おうというつもり。
 ひょろ松は、小金井鴨下村《こがねいかもしたむら》の庄屋の伜で、百姓をきらって家督を弟にゆずり、今ではちょっと知られた御用聞になったが、江戸からわずか七里ばかりの自分の郷里へも、この六七年、足をむけたことがない。
 ところで、この二十一日は亡父の七回忌で、どうでも法要につかねばならねえという親類一統の手詰《てづめ》の強文章《こわぶみ》。それで渋々、帰郷することにしたが、それにつけても、ひとりでは所在がない。顎十郎のふうてん[#「ふうてん」に傍点]なのにつけこんで、月見がてらに柴崎《しばざき》の鰻はいかが、と誘うと、こちらは、喰い気のはったほうだから、よかろう、でついてきた。
 他愛のないことを言いあいながら、いつの間にか三鷹村も過ぎ、小金井の村ざかいの新《あたら》し橋へかかったのが、ちょうど暮六ツ。
 ひょろ松は、六所宮《ろくしょのみや》のそばの柏屋《かしわや》という宿屋へ顎十郎を押しあげておいて、自分ひとりだけ実家へ挨拶に行ったが、ものの一刻ほどすると、大汗になってもどって来て、
「あたしの苦手は、田舎の親類と突きだしのところてん[#「ところてん」に傍点]。……どうも、お辞儀のしずめで、すっかり肩を凝らしてしまいました」
 と、ぐったりしているところへ、襖のそとから、ごめん、と挨拶して入って来たのは、多摩新田金井村の名主、川崎又右衛門。
 大和の吉野山から白山桜《しろやまざくら》をはじめてここへ移植した平右衛門の曽孫で、界隈きっての旧家。ひょろ松が、溝川《どぶがわ》の中を藁馬をひきずりまわしていたころには、さんざ世話をかけた叔父さん。
 白髪の、いかにも世話ずきらしい気の好さそうな顔をしているが、なにか心配ごとがあると見え、久濶《きゅうかつ》の挨拶も、とかく沈みがちである。
 ひょろ松は、眼聡《めざと》く眼をつけて、
「お見うけするところ、いちいち、ためいきまじり。……今夜、わざわざおいでくだすったのは、なにか、この松五郎に頼みでもあってのことではございませんでしたか」
 又右衛門は、憂《やつ》れ顔でうなずき、
「いかにも、その通り。……じつは、一月ほど前から、家内に、なんとも解《げ》しかねる奇妙なことが起き、このまま捨ておいては、たったひとりの娘のいのちにもかかわろうという大難儀で、わしも、はやもう、悩乱《のうらん》して、どうしよう分別《ふんべつ》も湧いて来ぬ。その仔細というのは……」
 又右衛門の連れあいは、四年ほど前に時疫《じやみ》で死に、いまは親ひとり子ひとりの家内。
 奥むきのことは、お年という気のきいた女中が万事ひとりで取りしきり、表むきは、作平という下男頭が、小作人の束ねから田地の上りの采領まで、なにくれとなく豆々しくやってのけ、立つ波風もなく、一家むつまじく暮らしていたが、この年の春、娘のお小夜が、気にいりのお年をつれて水上堤《みなかみづつみ》へ摘草に行ったとき、とつぜん、石垣のあいだからニョロニョロと一匹の山棟蛇《やまかがし》が這いだした。
 江戸の生れで、下町で育ったお年という女中は、長虫《ながむし》ときたら、もう、ひとたまりもない。かばうはずのやつが、お小夜の背中にくいついてまっ青になって慄えている始末。
 お小夜は、切羽《せっぱ》つまって、追いはらうつもりで無我夢中にひろって投げた石が、まともに蛇の頭へあたり、尾で草をうちながら蓬《よもぎ》のあいだをのたうちまわっていたが、間もなく、白い不気味な腹を上へむけて、それっきり動かなくなってしまった。
 見ると、頭が柘榴を割ったようにはじけ、グズグズになった創口からどろりと血が流れだしてまっ赤に草を染めている。
 ふたりは、ひきつけそうになって、這うようにして家まで逃げ帰ったが、その晩からお小夜は大熱、
「あれ、あれ、欄間に蛇が、蛇が……」
 ほかのものの眼には見えないが、お小夜にだけはありありと見えるらしく、そこへ来た、あそこへ来た、と部屋じゅうを狂いまわる。
 音に高い北見村斎藤伊衛門の蛇除《へびよけ》の御守をもらって、お小夜の部屋の戸障子の隙間や窓々に貼りつけて見たが、いっこう、なんの験《しるし》もない。
 府中、山伏寺、覚念坊《かくねんぼう》の蛇除のお加持《かじ》は、たいへんにいやちこだというので、さっそく迎えて加持をさせたところ、これは、金井の蛇塚の蛇姫様《へびひめさま》を殺した祟りで、山棟蛇の眷族《けんぞく》三百三十三匹がお小夜に取り憑いているのだという。
 それではどうすればいいのかとたずねると、覚念坊は、
「この蛇神の執念は、いかにも強く深くござって、いかなる秘咒《ひじゅ》をもっても、それをとくことはなし難い。これはすべて輪廻《りんね》の造顕《ぞうけん》によることでござって、まして、限り知れたわれらの法力《ほうりき》では、その呪いから遁《のが》れしむることはむずかしゅうござる」
 と、たよりのないことをいう。
 せんじ詰めたところは、自分の法力では、一日に一匹だけしか取りのけることが出来ないので、三百三十三匹をぜんぶ取りのけるまで、御病人のいのちが保《も》ちあうかどうか、そこまではお引きうけ出来ぬというのである。
 又右衛門だけは、ゆるされて祈祷の座につらなるが、なるほど、いやちこなもので、法螺貝を吹き立て鈴を鳴らし、おどろに髪を振りみだしながら祈りあげると、不思議や、お小夜の夜具の裾から山棟蛇が這いだして、するすると覚念坊の法衣の袂にはいる。すると、そのあと、ふた刻ばかりは、眼に見えて落着いて、スヤスヤと寝息を立てるのである。
「……それにしても、湯水も満足に咽喉を通らなくなってから、これでもう、一週間。……手足は糸のように痩せ細って、つく息もせつなげな。……今日でやっと六匹だけ取り離したばかりなのに、あの弱り方では、しょせん、末々までは保ちあうまい。……命にもかえがたく思うたったひとりの娘がよしない蛇の呪いなどで、ムザムザ死んで行くかと思うと、わが胸は、今にも破り裂けんかと思うばかり。……こうしていながらも、生きた気もない」
 ひょろ松は、苦々しそうな面持で、叔父の話を聞きすましていたが、やり切れないというふうに舌打ちして、
「これは、どうも驚きました。……むかし、手引き背負《おんぶ》した、あっしにとっても、だいじな従妹《いとこ》。……いま生き死にの正念場《しょうねんば》で喘いでいるというのを、軽くあしらうわけじゃありませんが、この世に、蛇の呪いの、狐の祟りのと、そんな馬鹿げたことが現実にあるわけのもんじゃねえ。しょせん、気病みのたぐい。……どうせ、女は気の狭いもの。現在、自分が蛇を殺したというので、熱にうかされるのはありそうなこってすが、あなたまで、先に立って、呪いの祟りのと騒ぎまわるのは、チト困った話ですねえ」
 又右衛門は手をふって、
「いや、一概にそうとばかりは言うまいぞ。……痩せても、枯れても川崎了斎《かわさきりょうさい》の裔《すえ》、鬼畜に祟りなし、ぐらいのことはちゃんと心得ておる。……しかし、なんと言っても、現在、正眼《まさめ》で見たからは……」
「正眼で?……見たとは、いったい、なにを」
「嘘でもない、まぎれでもない……その蛇体《じゃたい》というのをまざまざと見たのじゃ」
「へへえ」
「それも一度ではない、あとさき、これで三度」
「して、それは、どんなものです」
「信じる信じないは、そなたの勝手だが、今日からちょうど五日前、お小夜の寝ている離家《はなれ》へ入って行くと、欄間の上に、胴まわり一尺ばかりの金色の鱗《うろこ》をつけた、見るもすさまじい大蛇が長々と這って、火のような眼ざしでじっとお小夜のほうを見おろしている。……さすがのわしもアッと魂消《たま》げて、生きた気もなく座敷の中で立ちすくんだまま、『なんぽーゆーちょうちょう、ちゅうゆーけつけつ、ちゅうゆうじゃアじゃアちゅうゆうし』と一心に蛇よけの呪文を唱えていると、まるで、拭きとったとでもいうふうに、パッと蛇体が消えてしまった。……それまでは、よもやという気もあったが、まざまざと見たからには、やはり、覚念坊の言う通り、蛇神の呪いにちがいないと……」
 顎十郎が、人を小馬鹿にしたようにへらへらと笑い出し、
「なるほど、こいつアいいや、ちゃんと、落《さげ》がついている」

   穴中有蛇《けっちゅうゆうじゃ》

 ひょろ松、ムッとした顔で顎十郎のほうへ振りかえり、
「因果話めいて、あなたには、さぞおかしいでしょうが、そう、あけはなしにまぜっかえさないもんですよ。欄間で大きな蛇を見たというだけで、べつに、落などついてやしません」
 顎十郎は、やあ、と首へ手をやり、
「いや、これは恐縮。……ご腹立《ふくりゅう》では恐れいるが、しかし、どうもチト恍《とぼ》けているな。……ひょろ松、お前そう思わないか」
 ひょろ松は、いよいよ苦りきって、
「べつに、恍けているなどと思いませんねえ。……ここにいて、聞くな、はおかしいが、まア聞かぬつもりにしていてください」
「そう、とんがるもんじゃない。茶々をいれているわけじゃない、いかにも馬鹿々々しいところがあるから、それで、そう言うんだ」
 といって、又右衛門のほうへ向き、
「そら、いま、なんとか言われましたな。……蛇よけ呪文というのを、もう一度きかせていただきたいのだが」
「お望みとあれば、いたします。……『なんぽーゆーちょうちょう、ちゅうゆーけつけつ、ちゅうじゃアじゃアちゅうゆうし』というのでございます」
 顎十郎は、大口をあいて笑い出し、
「だから、それがおかしいというんです。……なんぽーゆーちょう、ちょうちゅうゆーけつ……そいつを漢字になおすと、こういうことになる。……『|南方有[#レ]塚《なんぽうにつかあり》、|塚中有[#レ]穴《つかのなかにけつあり》、|穴中有[#レ]蛇《けっちゅうにじゃあり》、|蛇中有[#レ]屎《じゃちゅうにしあり》』……早口に棒読みにすると、なにかもっともらしく聞えるが、要するに、南の塚穴の中に蛇がいて、その蛇の中には糞《くそ》がある、という愚にもつかないことを音読みでやっているだけのことなんです。こんなものにおどろいて消えてなくなるような大蛇なら、どうせ多寡《たか》が知れてると思いましてねえ、それで、つい笑いだしたようなわけ。……なにしろ、こんな恍けた話はねえ、漢語ぎらいの大蛇なんてえことになったら、こりゃア、ひとつ話になる」
 ひょろ松は、顎十郎のほうへ振りむいて、
「なるほど、これは、気がつかなかった。……いかにもあなたのおっしゃる通り、そんな馬鹿げたことで蛇が消えてなくなるなんてわけはない。すると……」
 と言いかけて、又右衛門に、
「金井の叔父。……その蛇よけの呪文というのを、いったい、誰から教わりました」
「さっき言った覚念坊というのが……」
 顎十郎は手をうって、
「こいつは、いい、覚念坊というやつは、よっぽど洒落れた坊主だと見えるの。……とんだ野幇間《のだいこ》だ」
 ひょろ松は、釣りこまれてニヤリと笑ったが、すぐ真顔になって、
「そんな輩《やから》のすることだから、ムキになって腹を立てて見たって始まらないが、そんな出鱈目をひと
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