に教えてすましているようなやつだから、眷族を呪文縛りにして一匹ずつ袂へ入れて帰るなんてえのも、どうせ、なにか、ふざけたことなんでしょう」
 又右衛門は、途方に暮れたような[#「暮れたような」は底本では「暮れたように」]顔つきで、
「なるほど、そう聞けば、いかにももっともだが、しかし……」
 ひょろ松は、手でおさえて、
「まア、お聞きなさい。……たぶん、自分で夜具の裾へ蛇を忍びこませておいて、もったいぶって呼びよせるように真似をするぐらいが落ち。こりゃア、ずいぶんありそうな話だ。……それはそうと、ねえ、阿古十郎さん、ありもしないことを、口から出まかせにしゃべくってこっちを威《おど》しあげ、お布施でもたんまりせしめようという魂胆《こんたん》でしょうが、それにしては、すこしやり方があくどすぎるようです。……なにもそうまでしなくとも……」
 顎十郎は、大真面目にうなずき、
「おれも、さっきから、そこのところを考えているんだ。名主どのを誑《たぶら》かすだけにしては、すこし巾《はば》がありすぎる。……こりゃア、なにか曰くがあるぜ。お布施なんていうケチなことで、お小夜さんとやらをそうまでいじめつけるわけはない。……欄間に金色の大蛇を這わせて威しつけるなんてえのは、ずいぶん念が入っている」
「それにしても、金色の大蛇なんてえものが、ほんとうにいるものでしょうか」
 顎十郎も、さすがに窮《きゅう》して、
「箱根からこっちに、そんな気のきいた化物はないことになっているが、しかし、現在、名主どのが見たというのであれば、これは、なんとも軽率なことは言われない」
 ひょろ松は、又右衛門のほうへ向きなおって、
「あなた、欄間に大蛇が伝うのを見たてえのは、そりゃア、たしかな話なんでしょうね」
 又右衛門は、うるさく首をふって、
「たしかも、たしかも、現在この眼で三度も見ているが」
「それは、いったい、なん刻ごろのことですか」
「最初に見たのが、ちょうど、昼の八ツごろ」
「それで、二度目は?」
「八ツ半ごろ」
「三度目は?」
「やはり、八ツごろ」
「すると、三度とも、八ツから八ツ半までのあいだにごらんになったんですね。……夜はどうです」
「夜は、まるっきり姿を見せぬのじゃて。……まだ、一度も見たことがない」
 またしても顎十郎は、へらへらと笑いだし、
「蛇塚の眷族は夜遊びはせぬか。……なるほど、蛇姫の身内だけあって躾《しつけ》がいい。こいつあ、大笑いだ。……なあ、ひょろ松、蛇姫のご一統が欄間に出るのは、どうやら、昼の八ツから八ツ半までのあいだときまった。……すりゃア、こんなところでぐずぐず言っているよりも、あすの八ツごろ、むこうへ出かけて行って、とっくり拝見するほうが早道らしい。……蛇塚の眷族はみんな女体《にょたい》だそうだから、ひょっとすると、こりゃあ、色っぽい話になるかも知れないぞ。ひとつ、とっつかまえて、口説《くど》くか」
 ひょろ松は、黙念。

   朽穴《くちあな》

 菩提寺で年忌をすませると、ひょろ松はその足で柏屋へ迎えにやって来た。
 紋服に仙台平《せんだいひら》の袴。すこし下凡《げぼん》の気あいがあるが、どうしてなかなかの器量。
「ひょろ松にも衣裳か。こりゃア、見なおしたねえ。そうしていると、……なるほど、村の大旦那。ただ、眼つきの悪いのが玉に瑕だ」
 ひょろ松は苦笑して、
「さアさア、馬鹿なことを言っていないで、そろそろ出かけましょう。……近いと言っても田舎道、まごまごしていると、せっかくの女体に行きあわれねえ」
 柏屋を出て、水上の長い土手づたい。
 金井橋を渡ると、その取っつきに、土塀をめぐらしたゆったりとしたひと構え。
 門を入ると、玄関に又右衛門が待ちかねていて、柴折戸《しおりど》から庭づたいにそっとふたりを離屋へ案内する。
 桃の古木にかこまれた、八畳つづきの奥の部屋に屏風を引きまわして、お小夜が見るかげもないようすで寝床についている。
 顔の肉がなくなって骨ばかり、唇だけが妙に前へ飛びだしている。人間の相でない、まるで畜類。
 また、狂いまわったばかりのところと見え、長い黒髪をすさまじいばかりに畳の上に散らし、眼尻を釣りあげてジッと三人を睨《ね》めつけていたが、とつぜん、魂消《たまぎ》えるような声で、
「あれえ、また来た。……もうもう、ゆるしてください、ゆるして、ください……助けてくれえ」
 足で夜具を蹴りかえし、畳に両手の指の爪を立てて床の間のほうへ這いずってゆく。見るさえおどろおどろしいばかり。
 ひょろ松と顎十郎、さすがに黯然《あんぜん》となって、無言のまま眼を見あわせていたが、そうばかりはしていられないので、手早く部屋の内部をそこここと調べおわると、縁側の戸袋の薄くらがりの中へしゃがみこみ、細く引きあけた障子の隙間から大蛇が伝うという欄間のほうをうかがいはじめた。
 そのうちに、八ツ……八ツ半……。とうとう九ツになったが、いっこう、なんの異変も起らない。蛇体はおろか、守宮《やもり》いっぴき這い出さぬ。
 顎十郎は、痺《しび》れを切らして立ちあがり、
「こいつアいけねえ、こんないい男がふたりもここに這いつくばっているので、女体がはにかんで出て来ねえのだと見える。……それにしても、江戸一の捕物の名人がふたりもこんなところに鯱《しゃち》こばっているには及ばない、半刻替りということにしようじゃないか。……おれは、その前に、ちょっと不浄へ……」
 と言いすてて、廊下のはしへ曲りこんで行く。
 間もなく、むこうのほうで手洗鉢《ちょうずばち》の柄杓《ひしゃく》をガチャガチャいわせていたが、のそのそと戻って来て、
「これで、さっぱりした、さあ、代ろう」
 神妙なことを言いながら、例の欄間のほうに眼をやっていたが、なにを見たのか、とつぜん、おッと低い叫び声をあげた。
 ひょろ松が、顔を引きしめてそのほうを眺めると、今までなんのきざしもなかった欄間の上あたりに、クッキリと明るい光がさし、それが陽炎のようにゆらゆらと揺れている。
 ふたりは頭を低くして這いつくばって、なにが現れてくるかと待っていたが、帯のようなかたちの光がちらつくだけで、いっこうになにごとも起らないから、そろそろと内部へ這いこんで光り物の正体を調べはじめた。
 間もなく、その正体を見とどけた。
 黒部《くろべ》を張った板の腰壁の、畳から三尺ばかり上ったところに小さな朽穴があいていて、そこからポーッと光が射しこんでいる。
 ひょろ松は、その朽穴をためつしかめつしていたが、いかにも不審に耐えぬふうで、
「欄間の光は、この穴からさしこむのにちがいないが、しかし、下から照らしあげるお天道さまなどはないのだから、そこから入る光がどうして、あんな上のほうへさすのか納得がゆきません。……そればかりではない、さっきまで、なにもなかったのに、どんなキッカケで急にあんなところを照らしあげるようになったのでしょう。さっきから、なにほど日ざしが移ったというわけでもなし……」
 顎十郎は、ふん、ふん、と鼻を鳴らしながら、空うなずきにうなずいていたが、なにを思いついたか、ものも言わずに廊下のほうへ出て行った。
 なにをするのだろうと見おくっているうちに、すぐまた戻って来てニヤニヤ笑いながら、
「おい、ひょろ松、欄間のボヤボヤの光がなくなったろう?」
 振りかえって見ると、なるほど、今まであった光がなくなって、さっきのように暗くなっている。
「お、なくなりました。いったい、これは、どうしたというんです」
 顎十郎は、とほんとした顔で、
「どうも、こうもない。……つまり、これでこの朽穴が、お蛇体の通り道だということがわかったんだ」
「ほほう……。でも、叔父の話では、胴まわり一尺もある大蛇だという話だが、どうしてこんな小さな穴から……」
「そこが、それ、魔性《ましょう》の変幻自在なところ。入ろうと思えば、どんなところからだって入って来るだろう。……とまア、平素なら恍けておくところだが、今はそんな場合じゃない。それに、まごまごしていると、えらいことになる。実はな、ひょろ松」
 いつもにもなく、真顔になって、ひょろ松の耳に口をあて、なにか、ひと言二た言ささやくと、いったいどんなことだったのか、ひょろ松が、
「おッ」
 と、驚異の叫び声をあげた。

   道行《みちゆき》の段《だん》

 その後、蛇体が欄間を伝うことはなかったが、お小夜の物狂いはいっこうにおさまらない。
 日に日に窶《やつ》れて、今はもう見るもはかないばかりになってしまったが、なにしろ、相手は変化玄妙《へんげげんみょう》の魔性。捕物にかけては人にゆずらぬ顎十郎も、まるっきり手も足も出ない。縁先に張りこんだり、漫然と夜伽をしたりするほかどうする才覚もないらしく、いたずらにやきもきと気をもんでいるようすは、見る眼にも笑止《しょうし》なばかりであった。
 それから、四日ばかり後のこと。
 この村の恒例で、甲州術道五宿の『写《うつ》し絵《え》』の名人、小浜太夫《こはまたゆう》の一座がにぎにぎしく乗りこんできた。
 芸人というのではなく、なかば好きからの旦那芸で、花見ごろから田植の始まるころまで、調布、府中、青梅《おうめ》などの村々をまわって歩き、名主の家の広座敷やお寺の本堂などで、説教節《せっきょうぶし》にあわせて、『石童丸《いしどうまる》』『出世景清《しゅっせかげきよ》』『牡丹灯籠《ぼたんどうろう》』『四谷怪談』などの写し絵をうつして見せる。
 この『写し絵』は、そのころ八王子を中心に、久しいあいだ全盛をきわめたものだった。
 桐でつくった頑丈な写箱《フロ》の前面にのぞきからくり[#「のぞきからくり」に傍点]と同じレンズがはまり、カンテラのあかりで、美濃紙を継ぎあわせた、天地三尺、幅三間半ぐらいの幕にうつす。
 横長の、八寸ほどの木の枠に、立ったところ、ころげたところ、起きあがったところと、いろいろな姿態を硝子《ギヤマン》に極彩色で描いた、五枚から八枚までの種板《コマ》を嵌めこみ、幕のうしろにいくつも写箱をならべて交互にこれを使用する。名人になると、ひとりで四つの写箱をつかいわけて、画面の人物をたくみに操り、さながら、生きて動く人間を見るような至極《しごく》な芸を見せたものであった。
 そのころでは、これはこの上もない面白い観物《みもの》。あすは名主さまの家で『写し絵』があるということになると、近郷村一帯、だれも仕事に手がつかない。七八里もあるところから、村じゅう総出で、提灯をつけて夜道を辿ってやってくる。
 さて、いよいよ、当日。
 又右衛門の家では朝から転手古舞《てんてこま》い。
 広座敷に燭台を出したり、楽屋をこしらえたり、座布団や煙草盆。庭には、いっぱいに筵を敷きつめ、足りないところには縁台を出す。
 下男頭の作平が、僕童を追いまわしながら、
「おいおい、ここに筵が足らねえぞ……縁台はこっちじゃあねえだ。むこうだむこうだ」
 などと、汗みずくになってやっている。すこし骨細だが、実直そうないい壮者《わかもの》。
 奥では、接待の麦茶わかし、子供にくばる菓子づつみや強飯《こわめし》やら。
 このほうは、女中頭のお年が一生懸命に采配をふるっている。しめりかえったこの屋敷に一時に春がきたよう。だれもかれも、浮き浮きした笑い声をあげて走りまわる。
 まだ日も暮れぬうちから、晴着をひっぱった老幼男女が、煮〆の重詰や地酒をさげてくりこんでくる。またたく間に、五十畳の広座敷はもちろん、筵敷の上までぎっしりと詰って、身動きもならない有様。気の早いのは、もう重箱をあけて盃のやりとり。早くやってくらっせえ、などとだみ声をあげている。
 顎十郎も誘われて座敷の隅にいる。
 そうこうするうちに、短い秋の日はとっぷりと暮れ、星がキラキラと瞬きだす。
 さア、もう始まるべえ、と、ざわめき立っているうちに、作平や世話役が座敷の灯を消して歩く。
 やがて、正面の幕に写しだされたのが、吉例の『福助』。
 わあッ、というどよめきのうちに、楽屋からは写し絵の口上、声
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング