高々《こえたかだか》。
「……東西々々、御当所は繁華にまさる御名地と承《うけたま》わり、名ある諸芸人、入れかわり立ちかわり、芸に芸当を取りつくしたるそのあとに、みじく[#「みじく」に傍点]なる我々どもがまかりいで、相勤《あいつと》めまする極彩色写絵《ごいさいしきうつしえ》は、ほかの芸当とはことちがい、手もとをはなれ、灯りさきはギヤマン細工。……とど仕損じがちもござりましょうが、ごひいきをもちまして、悪いところは袖たもとにおつつみあって、なにとぞ、お引立てを願いあげ奉《たてまつ》ります。今晩の芸題は、『安珍清姫道成寺の段』、相勤めまするは小浜太夫。おはやし、楽屋一同、そのため、口上、左様々々……」
いよオ、御苦労様。
わッという掛け声のうちに、賑かな下座《げざ》が入る。三味線、太鼓、小鼓、それに木魚がつれて、禅《ぜん》のつとめの[#「つとめの」に傍点]合方《あいかた》。
映し幕に、パッと明りがさし、色も鮮かに浮きあがった画面は、上下に松並木の書割、前が街道。と、下手から清姫がなよなよと現れ出てくる。
※[#歌記号、1−3−28]赤い振柚に花簪、帯のだらりも金襴に……と、歌の文句のように、浮世絵の極彩色の美しい姿で松並木のなかほどのところまでやってくると、上手《かみて》から飛脚が飛んで出る。
清姫が、こうこういう美しい旅の僧を見なかったかと訪ねる。飛脚は、あっちへ行ったという。
お次ぎは、旅の僧侶がひとり。夜道で思いがけない美しい女にあったので、幽霊かと思い、あわてて突っ伏して、鐘をたたきながら無闇に念仏を唱える。
画面がかわると、『日高川の場』。
背景は、満々と張った川の流れ。
清姫がよろよろと岸に辿りついて、渡守に、渡してくれと頼むが、船頭は無情にことわる。
清姫は泣いたり恨んだりしていたが、だんだん凄いかおになって、とうとう川に飛びこんで抜手を切るうちに、一度、水底に姿が見えなくなったと思うと、とつぜん、金の鱗をつけた凄じい蛇体になって、激流の中を泳いでゆく。
ここまではいいが、そのあとは、ちょっと意外なことになった。
普通ならば、これから道成寺へ行って、塀を乗りこえて鐘楼に近づく、ということになるのだが、どうしたのか、今晩の『写し絵』は蛇体が日高川を泳ぎわたると、とたんに、どこか、離家の横手のようなところが映り、ひとりの作男ていの男が、そこの下見《したみ》の節穴へ、写し絵の種板のようなものをおしあててニヤリと凄い顔で笑う。
と、場面が変って、座敷の中。十八九の娘が、枕屏風を引きまわして寝ているその欄間の上を、先刻の清姫の蛇体が、すさまじいようすでニョロニョロと這いまわりはじめた。
見物の村の衆は、あっけにとられて口をあいて眺めるうちに、暗闇の庭さきで、あッ、という叫び声がきこえ、つづいてバタバタと門のほうへ走り出したものがある。
むさんに駈けて行って、潜りから外へ飛びだそうとしたが、かねて手はずがしてあったものと見え、門の両側の闇につくばっていた五六人の男がムクムクといっせいに立ち上って、折り重っておさえつけてしまった。
引きおこしてみると、それが、日ごろまめまめしく立働いていた下男頭の作平。
五日市街道のもどり道。
「……それにしても、手洗鉢にうつるお天道《てんと》さまのあかりを種につかい、節穴に嵌めこんだ種板で欄間に大蛇をうつして見せようなんてえのは、そうとう悪達者なやつ。……手洗鉢の水にうつった陽の光が、折れ曲って節穴を通り、座敷の欄間に照りかえしているのを見て、それから思いついたことなのでしょうが、手洗鉢の水に種があろうなどとは誰も気がつかねえ。……消そうと思えば、手洗鉢の蓋をしめるだけのこと。……出そうと消そうと心のまま。なるほど、これじゃア、変幻奇妙……。八王子へ出かけて行って、作平が、もと玉川一座の種板《コマ》絵描きだったということをさぐり出して来なかったら、とてもこの謎々はとけなかったかも知れません。……それにしても、阿古十郎さん、欄間の光のみなもとは、手洗鉢の水にあたる陽の光だということが、どうしてあのとき、おわかりになりました」
「だって、そうじゃないか、おれが不浄へ行って帰って来るまでのあいだ、おれはたったひとつだけのことしかしていない。……つまり、手洗鉢の蓋を取って手を洗っただけ。……ところが、今までなかった光が欄間へうつる。……すると、欄間に光がうつったのは、おれが手洗鉢の蓋をとったためだと思うほかはない。……まア、理詰めだな、たいして自慢にもなりはしない」
ひょろ松は、仔細らしくうなずいて、
「なるほど、そういうわけだったのですか。……聞いて見れば、わけのないことだが、あなたが、あたしの耳へ、これは、『写し絵』の仕掛で、欄間へ大蛇をうつすのだぜ、と囁かれたときには、さすがのわたしも、あまりあなたの頭の凄さに、思わずぞっとしましたよ」
顎十郎は、迷惑そうに手をふって、
「いやア、まあ、そう、おだてるな。……それにしても、太いのは、お年という女。……作平をそそのかしたのも、覚念坊をひっぱりこんだのも、みなあいつの才覚だったんだが、あんなしおらしい顔をして蛇を種に主人の娘を責め殺し、蛇姫様のお告《つ》げだといって、作平に家督をつがせ、じぶんがその女房におさまってうまうまお家を乗っとろうなどと企てるなんてえのは見あげた度胸。……ふ、ふ、ふ、たしかに女は魔物だよ」
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
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