《とぼ》けているな。……ひょろ松、お前そう思わないか」
ひょろ松は、いよいよ苦りきって、
「べつに、恍けているなどと思いませんねえ。……ここにいて、聞くな、はおかしいが、まア聞かぬつもりにしていてください」
「そう、とんがるもんじゃない。茶々をいれているわけじゃない、いかにも馬鹿々々しいところがあるから、それで、そう言うんだ」
といって、又右衛門のほうへ向き、
「そら、いま、なんとか言われましたな。……蛇よけ呪文というのを、もう一度きかせていただきたいのだが」
「お望みとあれば、いたします。……『なんぽーゆーちょうちょう、ちゅうゆーけつけつ、ちゅうじゃアじゃアちゅうゆうし』というのでございます」
顎十郎は、大口をあいて笑い出し、
「だから、それがおかしいというんです。……なんぽーゆーちょう、ちょうちゅうゆーけつ……そいつを漢字になおすと、こういうことになる。……『|南方有[#レ]塚《なんぽうにつかあり》、|塚中有[#レ]穴《つかのなかにけつあり》、|穴中有[#レ]蛇《けっちゅうにじゃあり》、|蛇中有[#レ]屎《じゃちゅうにしあり》』……早口に棒読みにすると、なにかもっともらしく聞えるが、要するに、南の塚穴の中に蛇がいて、その蛇の中には糞《くそ》がある、という愚にもつかないことを音読みでやっているだけのことなんです。こんなものにおどろいて消えてなくなるような大蛇なら、どうせ多寡《たか》が知れてると思いましてねえ、それで、つい笑いだしたようなわけ。……なにしろ、こんな恍けた話はねえ、漢語ぎらいの大蛇なんてえことになったら、こりゃア、ひとつ話になる」
ひょろ松は、顎十郎のほうへ振りむいて、
「なるほど、これは、気がつかなかった。……いかにもあなたのおっしゃる通り、そんな馬鹿げたことで蛇が消えてなくなるなんてわけはない。すると……」
と言いかけて、又右衛門に、
「金井の叔父。……その蛇よけの呪文というのを、いったい、誰から教わりました」
「さっき言った覚念坊というのが……」
顎十郎は手をうって、
「こいつは、いい、覚念坊というやつは、よっぽど洒落れた坊主だと見えるの。……とんだ野幇間《のだいこ》だ」
ひょろ松は、釣りこまれてニヤリと笑ったが、すぐ真顔になって、
「そんな輩《やから》のすることだから、ムキになって腹を立てて見たって始まらないが、そんな出鱈目をひとに教えてすましているようなやつだから、眷族を呪文縛りにして一匹ずつ袂へ入れて帰るなんてえのも、どうせ、なにか、ふざけたことなんでしょう」
又右衛門は、途方に暮れたような[#「暮れたような」は底本では「暮れたように」]顔つきで、
「なるほど、そう聞けば、いかにももっともだが、しかし……」
ひょろ松は、手でおさえて、
「まア、お聞きなさい。……たぶん、自分で夜具の裾へ蛇を忍びこませておいて、もったいぶって呼びよせるように真似をするぐらいが落ち。こりゃア、ずいぶんありそうな話だ。……それはそうと、ねえ、阿古十郎さん、ありもしないことを、口から出まかせにしゃべくってこっちを威《おど》しあげ、お布施でもたんまりせしめようという魂胆《こんたん》でしょうが、それにしては、すこしやり方があくどすぎるようです。……なにもそうまでしなくとも……」
顎十郎は、大真面目にうなずき、
「おれも、さっきから、そこのところを考えているんだ。名主どのを誑《たぶら》かすだけにしては、すこし巾《はば》がありすぎる。……こりゃア、なにか曰くがあるぜ。お布施なんていうケチなことで、お小夜さんとやらをそうまでいじめつけるわけはない。……欄間に金色の大蛇を這わせて威しつけるなんてえのは、ずいぶん念が入っている」
「それにしても、金色の大蛇なんてえものが、ほんとうにいるものでしょうか」
顎十郎も、さすがに窮《きゅう》して、
「箱根からこっちに、そんな気のきいた化物はないことになっているが、しかし、現在、名主どのが見たというのであれば、これは、なんとも軽率なことは言われない」
ひょろ松は、又右衛門のほうへ向きなおって、
「あなた、欄間に大蛇が伝うのを見たてえのは、そりゃア、たしかな話なんでしょうね」
又右衛門は、うるさく首をふって、
「たしかも、たしかも、現在この眼で三度も見ているが」
「それは、いったい、なん刻ごろのことですか」
「最初に見たのが、ちょうど、昼の八ツごろ」
「それで、二度目は?」
「八ツ半ごろ」
「三度目は?」
「やはり、八ツごろ」
「すると、三度とも、八ツから八ツ半までのあいだにごらんになったんですね。……夜はどうです」
「夜は、まるっきり姿を見せぬのじゃて。……まだ、一度も見たことがない」
またしても顎十郎は、へらへらと笑いだし、
「蛇塚の眷族は夜遊びはせぬか。……なるほど、蛇
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