らしく、そこへ来た、あそこへ来た、と部屋じゅうを狂いまわる。
音に高い北見村斎藤伊衛門の蛇除《へびよけ》の御守をもらって、お小夜の部屋の戸障子の隙間や窓々に貼りつけて見たが、いっこう、なんの験《しるし》もない。
府中、山伏寺、覚念坊《かくねんぼう》の蛇除のお加持《かじ》は、たいへんにいやちこだというので、さっそく迎えて加持をさせたところ、これは、金井の蛇塚の蛇姫様《へびひめさま》を殺した祟りで、山棟蛇の眷族《けんぞく》三百三十三匹がお小夜に取り憑いているのだという。
それではどうすればいいのかとたずねると、覚念坊は、
「この蛇神の執念は、いかにも強く深くござって、いかなる秘咒《ひじゅ》をもっても、それをとくことはなし難い。これはすべて輪廻《りんね》の造顕《ぞうけん》によることでござって、まして、限り知れたわれらの法力《ほうりき》では、その呪いから遁《のが》れしむることはむずかしゅうござる」
と、たよりのないことをいう。
せんじ詰めたところは、自分の法力では、一日に一匹だけしか取りのけることが出来ないので、三百三十三匹をぜんぶ取りのけるまで、御病人のいのちが保《も》ちあうかどうか、そこまではお引きうけ出来ぬというのである。
又右衛門だけは、ゆるされて祈祷の座につらなるが、なるほど、いやちこなもので、法螺貝を吹き立て鈴を鳴らし、おどろに髪を振りみだしながら祈りあげると、不思議や、お小夜の夜具の裾から山棟蛇が這いだして、するすると覚念坊の法衣の袂にはいる。すると、そのあと、ふた刻ばかりは、眼に見えて落着いて、スヤスヤと寝息を立てるのである。
「……それにしても、湯水も満足に咽喉を通らなくなってから、これでもう、一週間。……手足は糸のように痩せ細って、つく息もせつなげな。……今日でやっと六匹だけ取り離したばかりなのに、あの弱り方では、しょせん、末々までは保ちあうまい。……命にもかえがたく思うたったひとりの娘がよしない蛇の呪いなどで、ムザムザ死んで行くかと思うと、わが胸は、今にも破り裂けんかと思うばかり。……こうしていながらも、生きた気もない」
ひょろ松は、苦々しそうな面持で、叔父の話を聞きすましていたが、やり切れないというふうに舌打ちして、
「これは、どうも驚きました。……むかし、手引き背負《おんぶ》した、あっしにとっても、だいじな従妹《いとこ》。……いま生き死にの正念場《しょうねんば》で喘いでいるというのを、軽くあしらうわけじゃありませんが、この世に、蛇の呪いの、狐の祟りのと、そんな馬鹿げたことが現実にあるわけのもんじゃねえ。しょせん、気病みのたぐい。……どうせ、女は気の狭いもの。現在、自分が蛇を殺したというので、熱にうかされるのはありそうなこってすが、あなたまで、先に立って、呪いの祟りのと騒ぎまわるのは、チト困った話ですねえ」
又右衛門は手をふって、
「いや、一概にそうとばかりは言うまいぞ。……痩せても、枯れても川崎了斎《かわさきりょうさい》の裔《すえ》、鬼畜に祟りなし、ぐらいのことはちゃんと心得ておる。……しかし、なんと言っても、現在、正眼《まさめ》で見たからは……」
「正眼で?……見たとは、いったい、なにを」
「嘘でもない、まぎれでもない……その蛇体《じゃたい》というのをまざまざと見たのじゃ」
「へへえ」
「それも一度ではない、あとさき、これで三度」
「して、それは、どんなものです」
「信じる信じないは、そなたの勝手だが、今日からちょうど五日前、お小夜の寝ている離家《はなれ》へ入って行くと、欄間の上に、胴まわり一尺ばかりの金色の鱗《うろこ》をつけた、見るもすさまじい大蛇が長々と這って、火のような眼ざしでじっとお小夜のほうを見おろしている。……さすがのわしもアッと魂消《たま》げて、生きた気もなく座敷の中で立ちすくんだまま、『なんぽーゆーちょうちょう、ちゅうゆーけつけつ、ちゅうゆうじゃアじゃアちゅうゆうし』と一心に蛇よけの呪文を唱えていると、まるで、拭きとったとでもいうふうに、パッと蛇体が消えてしまった。……それまでは、よもやという気もあったが、まざまざと見たからには、やはり、覚念坊の言う通り、蛇神の呪いにちがいないと……」
顎十郎が、人を小馬鹿にしたようにへらへらと笑い出し、
「なるほど、こいつアいいや、ちゃんと、落《さげ》がついている」
穴中有蛇《けっちゅうゆうじゃ》
ひょろ松、ムッとした顔で顎十郎のほうへ振りかえり、
「因果話めいて、あなたには、さぞおかしいでしょうが、そう、あけはなしにまぜっかえさないもんですよ。欄間で大きな蛇を見たというだけで、べつに、落などついてやしません」
顎十郎は、やあ、と首へ手をやり、
「いや、これは恐縮。……ご腹立《ふくりゅう》では恐れいるが、しかし、どうもチト恍
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング