姫の身内だけあって躾《しつけ》がいい。こいつあ、大笑いだ。……なあ、ひょろ松、蛇姫のご一統が欄間に出るのは、どうやら、昼の八ツから八ツ半までのあいだときまった。……すりゃア、こんなところでぐずぐず言っているよりも、あすの八ツごろ、むこうへ出かけて行って、とっくり拝見するほうが早道らしい。……蛇塚の眷族はみんな女体《にょたい》だそうだから、ひょっとすると、こりゃあ、色っぽい話になるかも知れないぞ。ひとつ、とっつかまえて、口説《くど》くか」
 ひょろ松は、黙念。

   朽穴《くちあな》

 菩提寺で年忌をすませると、ひょろ松はその足で柏屋へ迎えにやって来た。
 紋服に仙台平《せんだいひら》の袴。すこし下凡《げぼん》の気あいがあるが、どうしてなかなかの器量。
「ひょろ松にも衣裳か。こりゃア、見なおしたねえ。そうしていると、……なるほど、村の大旦那。ただ、眼つきの悪いのが玉に瑕だ」
 ひょろ松は苦笑して、
「さアさア、馬鹿なことを言っていないで、そろそろ出かけましょう。……近いと言っても田舎道、まごまごしていると、せっかくの女体に行きあわれねえ」
 柏屋を出て、水上の長い土手づたい。
 金井橋を渡ると、その取っつきに、土塀をめぐらしたゆったりとしたひと構え。
 門を入ると、玄関に又右衛門が待ちかねていて、柴折戸《しおりど》から庭づたいにそっとふたりを離屋へ案内する。
 桃の古木にかこまれた、八畳つづきの奥の部屋に屏風を引きまわして、お小夜が見るかげもないようすで寝床についている。
 顔の肉がなくなって骨ばかり、唇だけが妙に前へ飛びだしている。人間の相でない、まるで畜類。
 また、狂いまわったばかりのところと見え、長い黒髪をすさまじいばかりに畳の上に散らし、眼尻を釣りあげてジッと三人を睨《ね》めつけていたが、とつぜん、魂消《たまぎ》えるような声で、
「あれえ、また来た。……もうもう、ゆるしてください、ゆるして、ください……助けてくれえ」
 足で夜具を蹴りかえし、畳に両手の指の爪を立てて床の間のほうへ這いずってゆく。見るさえおどろおどろしいばかり。
 ひょろ松と顎十郎、さすがに黯然《あんぜん》となって、無言のまま眼を見あわせていたが、そうばかりはしていられないので、手早く部屋の内部をそこここと調べおわると、縁側の戸袋の薄くらがりの中へしゃがみこみ、細く引きあけた障子の隙間から大蛇が伝うという欄間のほうをうかがいはじめた。
 そのうちに、八ツ……八ツ半……。とうとう九ツになったが、いっこう、なんの異変も起らない。蛇体はおろか、守宮《やもり》いっぴき這い出さぬ。
 顎十郎は、痺《しび》れを切らして立ちあがり、
「こいつアいけねえ、こんないい男がふたりもここに這いつくばっているので、女体がはにかんで出て来ねえのだと見える。……それにしても、江戸一の捕物の名人がふたりもこんなところに鯱《しゃち》こばっているには及ばない、半刻替りということにしようじゃないか。……おれは、その前に、ちょっと不浄へ……」
 と言いすてて、廊下のはしへ曲りこんで行く。
 間もなく、むこうのほうで手洗鉢《ちょうずばち》の柄杓《ひしゃく》をガチャガチャいわせていたが、のそのそと戻って来て、
「これで、さっぱりした、さあ、代ろう」
 神妙なことを言いながら、例の欄間のほうに眼をやっていたが、なにを見たのか、とつぜん、おッと低い叫び声をあげた。
 ひょろ松が、顔を引きしめてそのほうを眺めると、今までなんのきざしもなかった欄間の上あたりに、クッキリと明るい光がさし、それが陽炎のようにゆらゆらと揺れている。
 ふたりは頭を低くして這いつくばって、なにが現れてくるかと待っていたが、帯のようなかたちの光がちらつくだけで、いっこうになにごとも起らないから、そろそろと内部へ這いこんで光り物の正体を調べはじめた。
 間もなく、その正体を見とどけた。
 黒部《くろべ》を張った板の腰壁の、畳から三尺ばかり上ったところに小さな朽穴があいていて、そこからポーッと光が射しこんでいる。
 ひょろ松は、その朽穴をためつしかめつしていたが、いかにも不審に耐えぬふうで、
「欄間の光は、この穴からさしこむのにちがいないが、しかし、下から照らしあげるお天道さまなどはないのだから、そこから入る光がどうして、あんな上のほうへさすのか納得がゆきません。……そればかりではない、さっきまで、なにもなかったのに、どんなキッカケで急にあんなところを照らしあげるようになったのでしょう。さっきから、なにほど日ざしが移ったというわけでもなし……」
 顎十郎は、ふん、ふん、と鼻を鳴らしながら、空うなずきにうなずいていたが、なにを思いついたか、ものも言わずに廊下のほうへ出て行った。
 なにをするのだろうと見おくっているうちに、すぐまた
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング