世の中に理外の理というものがあれば、まさに、こういうのを言うのだろう。
 検視の役人が来るのを待つあいだ、五人は階下の小座敷にあつまって顔つきあわして坐っていた。
 世故《せこ》にもたけ、そうとう機才のある連中ばかりだから、たいていのことならばそれぞれ至当の意見もあるべきところだが、この奇妙な出来事だけは、なんとも思惟《しい》の下しようもなく、ただただ合点のゆかぬことだと言いあうばかりだった。
 雨がやんで、檐《のき》に月影がさす。
 鼻を突きあわせて、ムンズリと坐ってばかりいてもしょうがないから、酒を運ばせてしめやかに飲みだしたが、さっきの今だから、座が浮き立つはずもない。いわんや、二階には佐原屋の無惨《むざん》な死体がそのままに置かれてある。
 それに、一同の心の中には共同の不安というようなものが重苦しくたぐまっていて、考えがとかくそちらへばかり行く。互いに顔を見られぬように用心しながら、黙々と盃をふくんでいたが、そのうちに日進堂が思いきったようにズカリと口を切った。
「……私ひとりの考えではあるまい、みんなも、肚《はら》ではそう思っているのだろう。こりゃア、たしかに攘夷派の連中の仕業だと思うんだが、みなさんのご意見はどうです。……さっきから、ちっともその話が出ないようだが」
 そう言って、同意を求めるように、一座の顔を眺めわたした。
 佐原屋が絞め殺されているのを見た時、とっさにみなの頭にひらめいたのはこの考えだったが、そのやり方になんともいえぬ凄いところがあって、闇討ちや刀槍《とうそう》の威迫《いはく》にはいっこう驚かぬ剛愎な連中も、さすがにどうも膚寒《はださむ》い気持で、その話にだけはなんとなく触れたくなく、諜《しめ》しあわしたように口を噤《つぐ》んでいた。
 日進堂がそう言うと、和泉屋は、むしろホッとしたような顔で、
「まず、そうと思うよりほかはない。……われわれとしては、すでに覚悟のあることで、こんなことぐらいで弱気になるのではないが、あまり水ぎわ立ったやり方なんで、さすがに、ちっとばかり凄いようで……」
 佐倉屋もうなずいて、腕を組んで凝然《ぎょうぜん》としている仁科のほうへ向きなおり、
「……ねえ、仁科さん……たとえ、どう理が合わなくとも、これが獺《かわうそ》や、怨霊《おんりょう》のしわざだなぞと、そんな馬鹿気たことはわたしらは考えない。……絞めた蕃拉布のはしを急にとけないように小間結《こまむす》びにしておくなんて芸当が、怨霊にできるわけのもんじゃないんだから、もとより、人間のしわざに違いないんだが、だから、いったい、どんなふうにして入って来て、どんなぐあいに出て行ったものか。……結局、さっきと同じ話になってしまうわけだが……」
 仁科伊吾は、太い一文字眉を癇性らしく動かしながら、すぐにはそれに答えずに、うつむき加減に膝に目を落していたが、とつぜん顔をあげると、
「……しかし、それは、いくらここで言いあってみたって、どうにもならないこってしょう。……どんなふうにして殺されたかは、岡っ引どもが来て調べりゃわかるこったから、くどッくらしく巻き返すのは、これくらいにしておこうじゃありませんか。……それよりも、これは、ひとり、佐原屋ばかりのことではない。われわれ全体の上におおいかかって来た問題なので、これに対して、われわれがどういうふうに身を処すべきか、それを相談しておくほうが急務だと思われます。……方法はどうあろうと、ことの実体は、われわれが不可解な殺戮の目標になっているらしいということで、もし、そうとすれば、恐らく、つぎつぎにこういう事件が襲いかかってくるものと覚悟せなければなりますまい……われわれ六人が結束を固くしているのは、日本の文化開発のために微力を尽そうということのほかに、いわれのない攘夷派の圧迫に、一団となって対抗するためもあったのですが、こういう容易ならん方法でわれわれの生命が脅威をうけた場合、六人組としてはどういう処置をとったらよろしいか……長崎屋さん、あなたに、なにか、お考えがおありですか」
 長崎屋は、いかにも不敵な口調で、
「……佐原屋の平素のやりかたには、たしかに攘夷派を挑発するような素振りが多かった。……こんなふうに言うと、死んだ佐原屋を鞭打つようなもんだが、それは、たしかにそうなんです。……思うに、攘夷派の連中が、ことさらあんな奇抜な方法で佐原屋を殺したのは、つまり、一種の示威なので、かくべつ恐れるに足らないことだと思います。……なぜかと申しますと、佐原屋を殺すつもりなら、なにもあんな奇異な方法をとらなくとも、もっと簡単にやれる方法はいくらだってあるでしょう。それをことさらにあんな方法を選んだというのが、つまり、そのへんの消息を物語っているのだと思います……いかがでしょう」
 仁科は、間をおかず、すぐにうなずいて、
「長崎屋さん、あなたのおっしゃる通りだ。……じつは、わたしも、さっきからその点に気がついておりました。……こりゃアたしか、威《おど》かしなんです。……そうだとすると、少々おとな気ないですな。こんな奇術のようなことをやって見せて、われわれが驚くと思っているんなら浅墓な考えだ。……わたしは、いつか両国で、切利支丹《きりしたん》お蝶の白刃潜《しらはくぐ》りというのを見たことがあります。……軍鶏籠《とうまるかご》の胴中へ白刃を一本さしこんでおいて、それを、こっちから向うへ抜けるんですが、あのくらいの芸があれば、今晩のようなことはわけなくやってのけるでしょう……してみりゃア、埓《らち》もないはなしです。こんなものに恐れる必要はちっともありゃしません」
 白刃《はくじん》をふるって斬りこまれたり、闇討ちに遭いかけたことは、これまでたびたびあったことだし、そう言われれば、なるほどこれくらいの威かしに今さらびくつくこともいらないわけで、ほかの四人も、もっとも、とうなずいたが、それでも、なにか心の隅に、結んでとけぬ暗い思いがあった。
 そうするうちに、町与力の一行がやって来た。
 検屍が済んでから、ひとりずつ別間へ呼ばれて取調べを受けたが、さっきも言ったように、五人ながら円卓から離れなかったということはお互いがよく知っているので、おのおのの申し立ての符節があい、このまま引きとって差しつかえないということになった。
 検屍がすんだのは、ちょうど七ツごろで、もう東の空が白みかけている。
 雨あがりの上天気で、きょうもさぞ暑くなりそうな、雲ひとつない曙《あけぼの》の空に、有明月《ありあけづき》が残っている。
 なにしろ、ずっと夜あかしで、それに、気を張りづめだったから、さすがに疲労をおぼえて、これから駕籠に揺られて帰る気はない。
 船にしようということになって、長崎屋だけをひとり寮に残し、仁科、日進堂、和泉屋、佐倉屋の四人が三囲《みめぐり》から舟に乗り、両国橋の下をくぐって、矢の倉河岸の近くまで来たとき、佐倉屋が、ちょっと、と言って艫《とも》へ立った。
 艪《ろ》を漕いでいた佐吉という若い船頭が、
「旦那、おつかまえしましょうか」
 と、立ちかかるのへ、
「なアに、大丈夫」
 と、こたえて、ゆっくりと小用をたしていたが、やはり疲れていたのか、うねりで船がガクとあおられたはずみに、ヒョロリと足をひょろつかせて、他愛もなくザブンと川の中へ落ちこんでしまった。
 一同はおどろいて、思わず、あッ、と声をあげたが、川には小波ひとつなく、それに、水練にかけてはひとに負けない佐倉屋のことだから、間もなく、やア、ひどい目にあった、などと言いながら浮きあがって来るのだろうと思っていると、よほど深く沈んだとみえて、なかなか浮いて来ない。
 さすがに、気をもんでいるうちに、佐倉屋はとつぜん躍りだすような勢いで浮きあがって来て、口をパクパクさせながら、
「あッ、あッ」
 と、喘《あえ》いでいる。
 ひどく、妙なようすだ。
 頭から濡れしずくになって、眥《まなじり》が張りさけんばかりにクヮッと眼をむき、なにか、眼に見えぬ水中の敵とでも争うような恰好で、凄じい水飛沫《みずしぶき》をあげながら夢中になって両手で水を叩きまわっていたが、それも束の間で、また引きこまれるようにググッと水底へ沈んでしまった。
 佐吉は舷側《ふなばた》から乗りだして、眉を寄せながらそのようすを見ていたが、ドキッとしたような顔で四人のほうへ振りむくと、
「……どうも、様子が変ですぜ……」
 仁科はうなずいて、
「こりゃア、たしかに妙だ……御苦労だが、かいしゃくしてやってくれ」
「ええ、ようございます」
 佐吉は絆纒《はんてん》をぬぎすてると、逆落《さかおと》しに川の中へ躍りこみ、ほどなく佐倉屋をかかえて上って来て、艫から差しだしている手へ佐倉屋の襟をつかませたが、フト、ぐったりしている佐倉屋の喉のあたりに眼をすえると、
「おッ、こりゃア、どうしたんだ……し、し、絞め殺されている!」
 と、叫んだ。
 佐倉屋は、昨夜の佐原屋と同じように、蕃拉布できつく首を絞められて絶命していた。

   席札《せきふだ》

 長崎屋の寮の筥棟《はこむね》の上。
 まるで雨乞いでもするような恰好で、うっそりと腰をかけているのが、顎十郎。
 漆紋《うるしもん》の、野暮ったい古帷子《ふるかたびら》の前を踏みひらいて毛脛を風に弄《なぶ》らせ、れいの、眼の下一尺もあろうと思われる馬鹿長い顔をつんだして空嘯《うそぶ》いているさまというものは、さながら、屋の棟に鰹木《かつおぎ》でも載っているよう。これが、いま江戸一といわれる捕物の名人とは、チト受取りにくい。
 檐に近いところでは、れいのひょろ松、熱い瓦を踏みながら、廂《ひさし》をのぞきこんだり、樋口を調べたり、河から照りかえす西陽《にしび》をまっこうに浴びながら、大汗になって屋根の上を走りまわっている。
 顎十郎は、扇子で脇の下へ風をいれながら、うっそりとそれを眺めていたが、ああんと顎をふりあげると、おかったるい間のび声で、
「どうだ、ひょろ松、なにか眼星しい手がかりがあったか」
 ひょろ松は、檐のはしへ手をかけて廂の下をのぞきこみながら、突慳貪《つっけんどん》に、
「ええ、ですから、そいつをこうして探しているんで……」
 顎十郎は、ニヤニヤ笑いながら、
「そうやって、尻を持ちあげて檐下をのぞいている様子なんざ、ちょっと、鳥羽絵《とばえ》にもない図だぜ。……ついでのことに股倉眼鏡《またぐらめがね》でもしてみたらどうだ、変った景色が見えるかもしれねえ。……お江戸が見える、浅草が見えるッてな」
 ひょろ松は、ムッと頬をふくらせ、
「ひやかすのはおよしなさい……そんなところで高見の見物ばかりしていないで、すこし手伝ってくれたらどんなもんです。……あっしだって、洒落や冗談でこんなことをしている訳じゃねえんでさ」
「そう怒るな……あまり怒ると腹なりが悪くなる。……冗談は冗談として、いつまでそんなことをしていたっておかげがねえ、もう、そろそろ切りあげたらどうだ。いくら屋根を嗅《か》いで廻ったって、こんなところに手がかりなんかあるはずはないんだ」
 ひょろ松はツンとして、
「ないとは、そりゃまた、なぜに。……どんなことがあっても土扉のほうから来られるはずはないのですから、二階の広座敷へ入りこむとすりゃア、この屋根だけがただひとつの通り道。……だから、こうして、脳天を焦《こが》して……」
「まず、無駄だな」
「ほう、驚いたね……じゃア、そもそもどこから入りこんだと言うんです」
 顎十郎はトホンとした顔つきで、
「それは、おれにもわからない。……それで、こうやって、せいぜい首をひねっているところだ」
「相変らずはぐらかしますねえ、まともに口をきいていると馬鹿を見る……まあ、それはいいとして、あいつが屋根を通らなかったというゆえんは、ぜんたい、どうなんです」
 顎十郎は、ポッテリした顎をのんびりと指の先でつまみながら、
「佐原屋が絞め殺されたとき、えらい土砂降りだったそうだな」
「ええ、そうです」
「寮からの迎えで、お前があわてて駈けつけ
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