人が椅子から立って、ドヤドヤと佐原屋のほうへ駈けよって、
「こんなところへ寝ころんでしまっちゃいけないな……どうなすったんだ」
「おい、どうしたんだ、佐原屋……」
 あわてて引きおこしてみると、佐原屋はもう絶命《ぜつめい》していた。
 よほど苦しかったのだろう、手の指を蟹の爪のように曲げて絨毯にくいこませ、目玉が飛びだすばかりにクヮッと眼を見ひらき、どす黒い舌を歯で噛んで、そこから流れだした血が頬のほうへまっ赤な筋をひいている。
 佐原屋清五郎は頸に巻きつけている蕃拉布で、力まかせに頸を縊《し》められて死んでいた。
 燈灯が消えてから、早附木で灯をともすまでの、ほんの[#「ほんの」は底本では「ほんのの」]三分のあいだの出来事だった。

   水飛沫《みずしぶき》

 町医者を呼んで、さまざまに手を尽してみたが、佐原屋はとうとう生きかえらない。
 窓の下は、石崖からすぐ川で、水面から檐《のき》まで三十尺もある二階座敷。
 廊下のほうは、太鼓なりの渡り廊下のはしから階下へおりる階段へつづき、片側はずっと砂壁《すなかべ》で、二階座敷はここだけで行きどまり。
 階段の下は錠口になっていて、不時
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