へ案内させますから……」
 佐原屋は、ひょうきんに顔を顰《しか》めて、
「雨水が咽喉へはいって気色が悪くていけねえ。……風呂へ入る前に、葡萄酒《ワイン》を一杯いただこうか」
 と、言いながら、絨毯を踏んで座敷のほうへ入りかけようとした途端、ドツと吹きこんで来た川風に、蝋燭の灯があおられてフッフッと次々に吹き消え、部屋の中がまっ暗になった。
「おッ、これはいけない」
「灯《あか》し、灯し……」
 口々に騒いでいるうちに、闇の中で、ううむ、と奇妙な唸り声がきこえだした。
「そこで唸っているのは佐原屋さんか? まるで縊《し》め殺されるような声を出すじゃないか」
「佐原屋さん、子供でもあるまいし、つまらない真似はおよしなさい」
「ほんとに、気味の悪い声だぜ」
 そうしているうちに、長崎屋が、地袋の棚から早附木《マッチ》をさぐり出してきて蝋燭の火をともす。
「やれやれ、やっと明るくなった」
 で、広《ひろ》座敷の入口のほうをふりかえって見ると、控《ひかえ》座敷と広座敷のちょうどあいだくらいのところで、佐原屋が俯伏せになって倒れている。
「おッ!」
「これは!」
 口々に叫びながら、おどろいて、五
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