、日進堂も腹をかかえながら、
「濡れ仏、とは、うまいことを言ったもんだ……額からしずくをたらしながら、そうして目玉をむいて突っ立っているところなんざ、牛込|浄源寺《じょうげんじ》の弥勒仏《みろくぶつ》そっくり。……これが、江戸一の開化人だとは、とても、信じられぬくらいだ」
と、ひやかすと、佐原屋清五郎は、なんのせいかひどく赤らんだ額のしずくを、手のひらでぬぐいながら、
「その馬鹿《イジオット》なところを、ちょいとお目にかけようと思って、こうしてここに突っ立っているのさ。……いやはや、急々如律令《きゅうきゅうにょりつれい》……山谷《さんや》を漕ぎだすと、いきなり、ドッと横ッ吹きの大土砂降《おおどしゃぶ》り。……大川のド真中だから、今さら引っかえすわけにもゆかず、板子をひっかぶってしのいでいたが、とうとう下帯までグッショリになってしまった。それにしても、濡れ仏とは縁起でもないことを言いなさる」
ひどく上機嫌にしゃべり立てるのを、長崎屋は、手でおさえるようにしながら、
「いくら夏の雨でも、そんなことをしていては、からだに障る……ひと風呂あびて、浴衣にも着かえていらっしゃい。……いま、湯殿
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