和泉屋がいうと、日進堂は首を振って、
「どうして、なかなか……ご承知の通り、あの気性《スピリット》だから、攘夷派が二三度攻撃したからって、それで恐入ってしまうような弱気《ウイークネス》な男じゃない……入関禁制の布令《ふれ》を聞くと、ケチのついた荷など引きとれねえというんで、神奈川の三文字屋《さもんじや》へ船をつけ、店の前へ荷を山のように積みあげて火をつけて、ぜんぶ焼いてしまったそうな」
 長崎屋は、ほう、と驚いて、
「そりゃア、ずいぶん思いきったことをしたもんだな……豪放もけっこう、無茶もいいが、それも時と場合による。こういう際に、ことさらに攘夷派を刺戟《ストラッグル》して紛争を求めるようなことは、慎《つつし》んだほうがいいと思うが……」
 仁科伊吾はうなずいて、
「……そうそう、私もいつかその点を指摘しようと思っていたんです……取引の上のことはともかく、おおっぴらに城陽亭へ入って肉叉《ホーク》をつかったり、独逸商館《ドイツしょうかん》の理髪床で頭髪を刈ったりするようなことは、たんに攘夷派の感情を煽《あお》るだけで、稚気に類したことだから、ありゃア、なんとかして止させなくてはいけま
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