る。
仁科の右どなりにいるのは、交易所|洋銀両替承《ドルりょうがえうけたまわり》の和泉屋五左衛門《いずみやござえもん》。その隣が、洋書翻刻の米沢町《よねざわちょう》の日進堂《にっしんどう》。
長崎屋の下座《しもざ》にいるのが、西洋医学機械を輸入する佐倉屋仁平《さくらやにへい》。
もとは、佐倉の佐藤塾で洋方医の病理解剖を勉強していたが、墓から持って来たたったひとつの髑髏《しゃりこうべ》が唯一《ゆいつ》の標本。佐藤泰然《さとうたいぜん》先生の辞書や標本をせっせと謄写する情ないありさまに奮起して、医学の勉強のほうはキッパリと思いきり、日本の開化のために、率先《そっせん》して西洋の医学機械を輸入しようという志を立てたいっぷう変った人物。
ちょうど、話題は横浜の屑糸取引《くずいととりひき》の禁制に移ったところだったので、いきおい佐原屋の噂になって、
「……佐原屋といえば、こんどの禁制でいちばん手いたい目にあった組だ。一万斤の生糸の売渡しが破談になったばかりか、そのためにトーマス商会と訴訟になり、その談判に一日の通弁料が百両という仕あわせでは、いかに佐原屋でも屁古《へこ》たれたこったろう」
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