た時も、まだ降っていたそうだな」
「へえ、降っておりました」
「今朝、お前がおれのところへ来たとき、座敷には足跡らしいものもございませんでしたと言ったな……それは、いったいどうしたわけなんだ」
「どうしたわけ、とおっしゃると」
「その土砂降りに屋根から舞いこんだとすると、廊下や絨毯に濡れた足跡ぐらい残っていなけりゃならないはずだ。……それなのに、そんな気配もなかったというのは、どうしたことだと訊いているんだ」
「おッ」
「おッに、ちがいねえ。……それがすなわち、屋根からなんぞ這いこんだのではない証拠」
 ひょろ松は、あっけらかんと顎十郎の顔を眺めていたが、大きな息をひとつつくと、感にたえたというような声で、
「こりゃ、どうも。そこには気がつかなかった。さすがは阿古十郎さん、……なるほど、そう言われてみりゃア、こりゃあ理屈だ」
 髷節へ手をやりながら、うらめしそうな顔で、
「それにしても、あなたもおひとが悪い。そうならそうと、最初《はな》っから言ってくださりゃ、こんなところで炎天干《えんてんぼし》になんぞならなくってすみましたものを」
 顎十郎は、大口をあいて笑いながら、
「たまには虫干
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