四人分、いずれも飯や味噌汁をつけ、それを食べかけていた人間のようすが眼に見えるような位置におかれている。
 役人溜りでは、夜詰《よづめ》の同心がちょうど手紙を書きだしたところで、巻紙《まきがみ》に「拝啓《はいけい》、陳者《のぶれば》……」と書きかけ、その硯《すずり》の水もまだ乾いていない……
 この船でいったいなにが起ったというのか?
 釜場では二番炊きをしかけ、桶からたくあん[#「たくあん」に傍点]を出しかけたところで、……役人溜りでは手紙を書きだしたところで、……船頭溜りでは交替したばかりの夜組が朝めしを食いかけたところで、……七人の囚人もろとも綺麗《きれい》さっぱりと船から消えてしまった。
 船の中は隅から隅まできちんと整頓されていて、闘争があった跡もなければ、騒動のあったようすもない。ついさっきまできわめて平和な日常のくりかえしが長閑《のどか》に行われていたことが、はっきり見てとられる。
 時化にでも逢って、やむなく船を見すて[#「船を見すて」は底本では「船見をすて」]なければならなかったか? 先ほども言ったように十七日の夕方までやや強い北西の風が吹いたが、それからは微風つづき
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