のいい凪だった。測《はか》り知られざるなにかの理由で船を見すてなければならなかったとしても、では、どんな方法で船を去って行ったのか。備えつけの二艘の艀舟《はしけ》は苫屋根《とまやね》の両がわに縛りつけられたままになっている。
 それにしても、どういう火急《かきゅう》な事情が起って、こうまで遽《あわた》だしく船から去って行かなければならなかったか? 前後の事情からおすと二十三人が船を去ったのは、鰹船が行きあう四半刻にも足らぬ以前のことだったと思われる。
 三崎丸の二十三人がほかの船に乗りうつったと考えられぬこともないが、見とおしのきく海の上、そんなら鰹船のほうではチラとでもその船の帆影を見かけていなければならぬはず。ところで、まるっきりそんなものは見ていなかった。
 どういう理由かで、三崎丸の二十三人は伊豆田浦岬の地かた二十五六里の沖あいで煙のように消えてしまった。それとも、乗組みがひとり残らず、とつぜん発狂してじぶんで海へ飛びこんでしまったのか?
 ――これが、文久二年四月十七日、相模灘に起った遠島御用船、三崎丸の事件。

   百万遍《ひゃくまんべん》

 深川|千歳町《ちとせちょう
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