》の水戸さまの石置場《いしおきば》から始まって新大橋《しんおおはし》のたもとまで、三丁の川岸っぷちにそって大小十四棟の御船蔵《おふなぐら》が建ちならんでいる。
地つづきに植溜《うえだめ》があって、ちょうどそこへ通りかかったのは北町奉行所の例繰方《れいくりかた》、仙波阿古十郎とお手付、ひょろりの松五郎。
この仙波、顔つきは人なみだが、顎だけはひどく桁はずれ。出来のいい長生糸瓜《ながなりへちま》のように末広がりにポッテリと長くのびている。よって、阿古に濁《にご》りを打って仙波顎十郎と呼ばれる。
見かけは茫乎《ぼうこ》としてつかまえどころがないが、これで相当の奇才。江戸一の捕物の名人などとおだてあげるものもいる。実際のところはそれほどでもあるまい、たぶん評判だけのことであろう。
ひょろ松のほうは、名は体をあらわし、蚊とんぼのようにひょろりと痩せているから、それで、ひょろりの松五郎。洒落《しゃれ》にもならないが、いたって気はいい。これが顎十郎の腰巾着《こしぎんちゃく》。乾児《こぶん》とも、弟子とも、家来ともいうべき関係。
それはともかく事件も今度の三崎丸ほどになると、とても御船奉行《
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