つづいて、繩上《なわあげ》の丑松《うしまつ》、
「おれも行こう」
こうなると怖いもの見たさで、船には楫取の和次郎《わじろう》をひとり残してわれもわれもとゾロゾロと遠島船へ乗りうつる。
平吉の言った通り、まさに、奇妙なことが始まっていた。
船極印《ふなごくいん》を調べると、まぎれもない御用船《ごようぶね》。
安政三年|相州三浦三崎《そうしゅうみうらみさき》で船大工《ふなだいく》間宮平次《まみやへいじ》がつくり、船奉行|向井将監《むかいしょうげん》支配、御船手|津田半左衛門預《つだはんざえもんあずかり》という焼判《やきばん》がおしてある。
三番船梁に打ちつけてある廻送板《まわしおくりいた》を見ると、最後に江戸を出帆したのが、四月十五日としるされてある。ちょうど二日前に品川をでた船。
胴の間の役人|溜《だま》りに入って、板壁の釘にかかっていた送り帳を見ると、江戸を出るとき、この船にはたしかに二十三人の人間が乗っていた。
伊豆七島へ差しおくる囚人が七人。役人は、御船手、水主《かこ》同心|森田三之丞《もりたさんのじょう》以下五人。
乗組のほうは、船頭金兵衛、二番水先頭|与之助《よ
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