きりんな船じゃねえか」
「菱垣《ひがき》船か」
「菱垣にしちゃア小さすぎる。それに、菱垣の船印《ふなじるし》がねえや」
「灘《なだ》の酒廻船《さけかいせん》か」
「新酒船《しんしゅぶね》は八月のことでえ」
「土佐の百尋石船《ひゃくひろいしぶね》か」
「石船にしちゃア船腹《ふなばら》が軽すぎらい」
「それにしても、なにをしてやがるンだろう。こんなところで沖もやいする気でもあンめえ。時化《しけ》でもくらいやがって舵を折ったか」
十五日の朝から夕方まで子亥《ねい》のかなり強い風が吹いたが、日が暮れるとばったりとおさまって、それからずっと凪つづきだった。
舳を突っかけながら、あらためてつくづくと眺めると、帆綱《ほづな》の元場《もとば》にも水先頭場《みずさきがしらば》にも、綱の締場《しめば》にも、まるきり人影というものがない。たるみきった帆綱がゆらゆらと風に揺れているばかり。
「船頭めら、くらい酔って寝くたばっていやがるのか。それとも、死に絶えたか」
艫に突っ立って、手びさしをして、さっきからジッとその船を眺めていた楫取《かじとり》の八右衛門、
「やい、櫓杭をまわせ、あの船に寄っちゃなンね
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