。……こいつア、すこし理屈にあわねえようだ」
と言って、真顔になり、
「……遠島船のホマチといって、島流人《しまるにん》の親兄弟にたのまれて、米味噌やら金子《きんす》やら、御船手役人の眼を盗んでそっと島々の囚人におくりとどけ、また御法度の文づかいをして双方から莫大な礼をとる。これが露顕《ろけん》すれば船頭一同は百たたきの上、ながの遠島、女房子供は江戸かまえ。……そういう弱味につけこまれて、心ならずも伏鐘一味のいうことをきくようになったのだろうが、それにしちゃアやりかたがすこし派手すぎた。……せいぜいうまく仕組んだから、三崎丸の金兵衛以下役人囚人もろとも二十三人、相模灘の沖で煙のように消えてしまったと立派にごまかしおえたと思っているのだろう。世間の眼はそれでくらまされようが、わたしはそんなことでは欺されない。二十三人ひとり残らず、みな生きていることを知っているんだ。……伏鐘一味におどかされ、船頭一同としてはもう逃れぬところと腹をきめて、三崎丸を明けわたし、自分たちは四月十九日に相模の海で死んだことにして、一生、身を隠して暮らすつもりだろうが、その了見はせますぎる。重いといっても多寡が遠島。今のうちに自分から名のって出りゃアお慈悲ということもあります。余計なことのようだが、これはわたしの親切。かりに身を隠すにしたところが、死ぬまで隠れおおせるというわけにはゆかない。いずれはお上の手にかかる。そんならば、いっそ今のうちに名のって出たほうが、まず身のため。お静さん、納得《なっとく》が行きましたか」
お静は、肩をふるわせてきいていたが、矢も楯《たて》もたまらなくなったように畳に両手をつき、
「いろいろと、ご親切、さまざまにご理解くださいましてありがとうございました。……おっしゃる通り、日本の中にいるからはどのみち一生かくれ通すというわけにはゆきません道理。お言葉のように、さっそく名乗って出るようにすすめます」
顎十郎はうなずいて、
「あたしも、そのほうがいいと思うんだ。なんと言ってもこれだけ世間を騒がしたのだし、七人の囚人と御船手役人が束《たば》になって行方知れずになったということでは、お上でもそのまま捨ててはおきません。今のうちに名のって出て、伏鐘の一味におどかされ、つい、よんどころなくと申立てれば、いくらか罪は軽くてすむでしょう。……それはそうとお静さん、弥之助さんの手紙はだれが持って来ました」
「石をつつんで塀越しに庭さきへ投げこんでありました」
顎十郎は、なにかちょっと考えてから、
「これでだいたい話はすんだが、ひとつ、あなたのご亭主の弥之助さんが今どこにいるか当てて見ましょうか」
「えッ」
「ところは江戸のうち。……水に縁のあるところ。中洲でもなし川岸でもなし、と言って品川の砲台でもない。すると、これは島ですな。江戸に島と名のつくところは、そう数はない。越中島、……佃島……それから石川島……。と、言ったってそんなびっくりした顔をなさらなくともよござんす。……江戸のうちでお上の袖がこいの中につつまれて安穏に世を忍べるところといえば、まず、さしずめ牢屋敷。……が、このほうはよっぽど罪を犯さなくてはかなわない。なにとぞお願い申しますと言ったって入れてくれない。……ところで、石川島の人足寄場のほうは、ちょっと上役人《かみやくにん》をいためつけ、おれは江戸無宿だからどうともままにしてくれと言ってひっくりかえれば、即座に島へぶちこんで、けっこうな手仕事をさずけてくれる。入ったが最後なかなか出られないが、そのかわり、ここならばまずぜったいお上の風も吹きつけない。灯台もと暗しとはこのこと。伊豆の田浦岬の二十四五里の沖あいで行きがた知れずになった十一人の片われが、まさか石川島の人足寄場にいるとは思わない。その気にさえなれば、こんな安気《あんき》なところはない。いわんや、恋女房が住んでいる家とは堀ひとつへだてた背中あわせ。あなたに惚れぬいている弥之助さんとしちゃア、こんな楽しい隠れ場は探そうたってほかにはありはしない。……どうです、当りましたか」
お静は顔を染めて、
「でも、まあ、どうして、そんなことまで」
「それは積《つも》っても知れましょう。聞けば、あなたの家は人足寄場のすぐ塀外。手紙を石につつんで投げこめるところといったら、まず人足寄場のほかはない。言うに落ちず語るに落ちるとは、この辺のところを言うのでしょう」
お静がしおしおと帰って行って、すこしたってからひょろ松がもどって来た。顎十郎はすわるのも待たずに、
「ひょろ松、十五日の朝、島おくりの囚人は二カ所の川岸から艀舟に乗ったろうな」
ひょろ松は眼をむいて、
「阿古十郎さん、あなた、どうしてそれを」
「どうしてもこうしてもありはしない。そうででもなければ、この件はどうしてもウ
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