なく頬杖をついて、
「おだてるな。……それで、今度はどんなことだ」
 へえ、といって、急に顔をひきしめ、
「それがどうも、すこし、桁外《けたはず》れな話なんで。……あなたは、ひちくどいことはお嫌いだから、手っとりばやくもうしますが……じつは、このごろ御府内で、妙なことがはじまっているんでございます」
 顎十郎、のんびりとした声で、
「ふむ、妙とは、どう妙」
「それが、どうも、捕えどころのねえ話なんで……。どうしたものか、この月はなっから江戸の市中が水を打ったようにひっそりと静まりかえっているんでございます。……どんなことがあったって、日に十や二十はかかしたことのねえ小犯行《こわり》が、これでもう十日ほどのあいだ、ただのひとつもございません。……掏摸《とうべえ》もなければ、ゆすり、空巣狙《しろたび》、万引《にざえもん》、詐欺《あんま》……なにひとつない。御番所も詰所も、まるっきし御用がなくなって、鮒が餌づきをするように、あくびばかりしているんでございます」
「なるほど、そりゃあ珍だの」
 ひょろ松はうなずいて、
「江戸中の悪いやつらが、ひとり残らず時疫《じやみ》にでもかかって死に絶えてし
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