うな声で、
「とどけて、ください。子刻《ここのつ》ごろ、下ッ引が部屋の窓下へ来ますから、どうかそれに、……渡してやって……」
 藤波の眼じりから頬のほうへ、ツウとくやし涙がつたわった。

   切腹

 百叩きにこそされなかったが、さんざん中間どものなぶりものにされて、門をつきだされたのが朝の六ツ半。
 煮えくりかえるような胸をおさえて、空脛《からすね》を風に吹かせながら、三年町《さんねんちょう》の通りを歩いて行くと、横丁から小走りに走りだして来た、せんぶりの千太。頭から湯気を立てながら、
「おお、旦那、ちょうど、よかった。……それで、お調べのほうはどうでした。まるっきり、あてちがいだったでしょう」
 藤波は苦りきって、
「なにを言う。……大塚本伝寺御代参の乗物。……出たときが十四挺で、帰ったときが二十四挺。十挺だけ多く入っている。もう、間違いない」
 千太は上の空に聞きながして、
「それはそうと、その条は、まだ殿さまへはお復命《こたえ》になっていねえでしょうね」
「いや、逐一したためて、昨夜おそく差しだしておいた。今ごろはちょうどお手もとへ届いているころだ」
 千太は眼の色をかえて、
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