まにはただひとりの御嫡子があって、源次郎さまと申しあげますが、御三歳の春、利与さまがみまかられましたので、直ちに相続を願いいで、翌年春、喪があけますと同時に、相続祈願のため、さきの家老|相馬志津之助《そうましづのすけ》、伝役《もりやく》桑原萩之進《くわばらはぎのしん》、医者|菊川露斎《きくかわろさい》の三人がつきそい、矢田北口《やたきたぐち》というところにある産土《うぶすな》さまへ御参詣になりましたが、お神楽の太鼓におおどろきになったものか、かえりの駕籠の中で二度三度と失気《しっき》なされるので、やむなく途中の百姓家に駕籠をとめ、離れ家におともない申し、いろいろご介抱もうしあげましたところ、ようやくのことで御正気。軽い驚風《きょうふう》ということで、その後は恙《つつが》なく御成育になり、元服と同時に、相違なく家督相続さしゆるされるむね、お達しがあり、家中一同恐悦に存じておりました。その後、家老相馬志津之助と医者露斎があいついで死亡いたし、よって不肖《ふしょう》わたくしが家老の職につき、御養育に専念いたしておりましたところ、この春ごろから慮外《りょがい》な風説を耳にいたすようになりました」
「ほほう、それは」
「……と申しますのは、御嫡子源次郎さまは二年前の春、産土さまの帰途、百姓家の離れで、失気したままご死亡になり、古河十二万五千石の廃絶をおそれるまま、先の家老志津之助が、伝役《もりやく》萩之進らとかたらって、たまたま通りあわした野伏乞食《のぶせりこつじき》の子が源次郎さまに生写《いきうつ》しなのをさいわい、金をあたえて買いとり、偽の主君をつくりあげ、なにくわぬ顔で帰城したのだという取沙汰《とりざた》。……もとより根もない風説ではございますが、捨ておきかねることにてございますによって、さまざま手をつくして噂の出所をとりしらべましたところ、矢田の百姓で仁左衛門《にざえもん》と申すものの口から出たということ。……ところで、この仁左衛門も、先年すでに死亡いたしたという埓もない話」
「なるほど」
「ところが、先君利与さまの外戚《がいせき》、御内室《ごないしつ》の甥御にあたられる北条数馬《ほうじょうかずま》どの、源次郎さまを廃して、おのれが十二万五千石の家督をとりたき下ごころがあり、伯父上|土井美濃守《どいみののかみ》と結托して、御老中などへの運動もさまざまなさる趣《おもむ》きでありましたが、この噂をえたりかしこしと、もってのほかのおとりつめよう。萩之進を窮命《きゅうめい》どうように押しこめて詮議《せんぎ》をなさいましたが、もとより根もないことでございますから、陳弁《ちんべん》いたしようもない。手ごわいと見てとってか、今度は、高野山から雪曽《せつそ》という人相見の法印《ほういん》を呼びよせ、端午の節句の当日、家中列座のなかで、源次郎さまの相は野伏乞食の相であると憚りもなくのべさせるという乱暴。このまま捨ておいては、ゆくすえ源次郎さまの御一命にもかかわるような事態になるやに存じたものか、今からふた廻りほど前の夜、萩之進は御寝所に忍び入って、源次郎さまを盗みだし、そのまま逐電してしまいました」
「そりゃあ、どうも乱暴ですなア。どういうせっぱつまった事情になっていたか知れないが、そんなことをしたら、源次郎さまとやらア野伏乞食の子だということを証拠だてるようなもので、のっぴきならぬ羽目になりましょう」
 石口十兵衛は、実直にうなずいて、
「いかにもその通り、手前の心痛もひとえにその点にかかわりますので、なんとかして一日も早く探しだしたいと存じ、なにか手がかりでもと、萩之進の屋敷にまいりまして、文庫、手筥などを探しましたところ、江戸洲崎へ行くという意味の書きおきがござりましたので、間をおかず出府《しゅっぷ》いたしまして、とるものもとりあえず深川へまいり、洲崎一帯を手をつくして探しましたが、いっこうそれらしい手がかりもなく、すでに今日で十二日、むなしく踵《かかと》をへらして駈けまわるばかり。いまだになんの吉左右もございません。ところがいっぽう、数馬どののほうも、どこから洩れきいたか、萩之進が江戸へ落ちたということを探りだし、江戸一といわれる南町奉行所の控同心、藤波友衛に意を通じてしきりにこれも行方をさがさせているという噂。……御承知のとおり藤波というのはいかにも辛辣果敢《しんらつかかん》な人物。手前のほうは老人のよぼけ[#「よぼけ」に傍点]足でとぼとぼと探しまわっているのに、むこうは二百三百という下っ引を追いまわし網の目を梳《す》くように洗い立てております。これでは、とうてい勝負にはなりませぬ話。せっぱつまったその末、失礼もかえりみず突然、推参いたしたような次第、なにとぞ御諒察」
 といって、息をつき、
「万一こちらが後手《ごて》になりますれば、源次郎さまの御一命にもかかわる場合、いわんやさまざまに作りごとされ、風評どおり源次郎さまが野伏乞食の児であったなどということになりましたら、いつわりの相続ねがいをさしあげたという廉《かど》により、軽くて半地《はんち》、重ければ源頼光《みなもとのよりみつ》以来の名家古河十二万五千石も嫡子ないゆえをもって、そのまま廃絶というきわどい場合、なにとぞ手前の辛苦をあわれと思召され、一日も早く源次郎さまの在所《ありか》をば……」
 顎十郎はさすがに驚いたような顔つきで、石口十兵衛の顔を見かえしながら、
「なるほど、こりゃアえらいことになっている。あなたが骨が舎利《しゃり》になっても御主家の名を口外しまいと、突っぱったのも無理はない。源次郎とやらが乞食の児であったかないか、その真実はともかくとして、こんなことが老中にでも知れたら、古河の家領《かりょう》はどっちみち無事じゃアすみません。こいつはどうも、驚いた」
 と、顎を撫でなで舌を巻いていたが、なにを思いだしたか頓狂な声で、
「それはそうと、ちょっとおうかがいしたいことがあります。そのお伝役の萩之進とやらが残して行ったという書きおきの文句は、いったいどんなことだったのです」
「はい、それが、埓もないと申せば埓もない。ただ五文字、『すさきの浜』とだけ書いてあったのでございます」
 顎十郎は、へへえといって嚥みこめぬような顔をしていたが、どうしたというのかにわかに喜色満面のていで、つづけさまに古袷の膝をたたきながら、
「わかった、わかった、なんのわけはない、そんなことなら、もうこっちのもんだ。いかに藤波が眼はしがきいたって、こういう故事《こじ》は知るまいから、とてもそこまでは探索はとどくまい」
 と、奇声を発してから、
「石口さん、はばったい口をきくようだが、源次郎さんの行方はもうこの阿古十郎が見とおしましたから、大舟に乗った気で屋敷へかえって骨やすめをしながら待っていてください。おそくとも明日の昼ごろまでには、しょっぴいて、いやさおつれ申して帰りますから」
 といって、またひとりでえへらえへら笑いながら、
「念のために申しあげておきますがね、江戸の洲崎は洲崎の浜などとは言わないんです。昔からただの洲崎、江戸の風土記《ふどき》には浜などと名のつくところはそうざらにはないんです。なんと、ご存じでしたろうか」

   首実験《くびじっけん》

 浅草田圃《あさくさたんぼ》に夕陽が照り、鳥越《とりこえ》の土手のむこうにならんだ蒲鉾《かまぼこ》小屋のあたりで、わいわいいうひと声。
 見ると、小高いところに立って、ああでもない、こうでもない、といって指図しているのが例の権柄面《けんぺいづら》の藤波友衛とせんぶりの千太。
 いかに非人《ひにん》の寄場《よせば》といいながら、よくもまあこうまで集めたと思われるほど、五つから七つぐらいまでの乞食の子供をかずにしておよそ五十人ばかり。こいつを一列にずらりとならべて松王丸《まつおうまる》もどきに片っぱしから首実験をして行く。鼻たらしや、疥癬《しつ》頭、指をくわえてぼんやり見あげていたのを、せんぶりの千太が顎の下へ手をかけて、まじまじと覗きこむ。『菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》』の三段目じゃないが、いずれを見ても山家育《やまがそだ》ち、どうにもとり立てていうほどの面相はない。
 せんぶりの千太は、すっかり厭気《いやけ》がさしたと見えて、
「仏の顔も日に三度じゃない。乞食の面ばかりこれでものの三日、朝から晩まで見つくしてどうやら気が変になりました。ひどいもんですねえ、家へ帰りますと、せがれの面まで白痴《こけ》面に見えてうす汚なくてたまらない。いったいいつまでそんなことをやらかそうというんです。お願いできるなら、あっしゃもうこのへんで……」
 藤波は三白眼をキュッと吊るしあげ、
「このへんでどうしたと。……言葉おしみをしねえで、はっきり言って見たらどうだ」
 毎度のことだが、今日はまたいつもよりよっぽど風むきが悪い。噛みつくような口調で、
「つまり、よしてえというんだろう。厭になったというんだろう」
「えへへ、そういうわけでもないんですが……」
「家老の石口十兵衛のほうじゃ、顎十郎のところへ駈けこんだことがわかってる。古河の十二万五千石がどうなろうと、俺にゃ痛くも痒《かゆ》くもねえが、こんなふうに鍔ぜりあいになった以上、どうして後へひけるものか。寄場はおろか、橋の下、お堂の下をはいくぐっても、その小童《こわっぱ》をさがしだし、あいつに鼻をあかしてやらなけりゃアおさまらねえのだ」
「へい、ごもっとも」
 藤波は険悪にキッと唇のはしを引きしめ、
「ごもっとも。なにがごもっとも。……なア千太、あの顎化けが、けさ俺のところへ送りつけてよこした手紙を、貴様も読まなかったわけじゃなかろう。……あなたのなさっていることは、まるっきりの見当ちがい、いかにもお気の毒に存ずるから、ちょっと御注意もうしあげる。……なにをいやあがる。あしらっておきゃあ好い気になりゃあがって、自分天狗の増上慢《ぞうじょうまん》。放っておいたら、どこまでつけあがるか知れやしねえ、こんどこそはギュッという目にあわせて、申しわけがございませんの百辺も言わしてやるつもりなんだ。俺にしちゃ大事な瀬戸ぎわ、汚ねえの候なんぞと言っちゃいられねえ。厭なら俺ひとりでやるから、お前はもう帰ってくれ」
 千太は手で泳ぎだして、
「じょ、じょ、じょうだんじゃねえ。ここで追っぱらわれたんじゃ、今までの苦心も水の泡《あわ》、あっしの立つ瀬がねえ。あの顎化けを見かえしてやると言うなア、あっしにしたって長いあいだの念願。いままでやらしておいて、帰れはねえでしょう。旦那、そりゃあ殺生《せっしょう》ですよ。なるほど愚痴は言いましたろう、が、いわばそいつは合《あい》の手。ちっとぐらいぼやいたって、なにもそうむきになって、お怒りなさらなくとも」
 藤波はせせら笑って、
「泣くな泣くな、乞食の餓鬼が貴様のつらを見て笑ってる。そういう気なら、無理に帰れたあ言わねえ。もうわずか、あと三十人ばかり、ひとつ精を出してやっつけようじゃないか」
「へえ、ようござんす」
 千太はいまいましそうに舌打ちをしながら、乞食の子のほうへ寄って行き、似顔絵とてらしあわせながら、ためつすがめつまた首実験をはじめる。藤波のほうも、高見になったところに棒立ちになって、これも油断なく、非人の子のそぶりを凄い目つきで睨《ね》めつけている。
 そこへ、土手のむこうから、
「おウ、藤波さん」
 という声。
 振りかえって見ると、のっそりと堤のむこうから出て来たのが顎十郎。しゃくるような薄笑いをしながら、二人のほうへ近づいて来て、
「ほほう、やってますな。さすがお顔がひろいだけあって、だいぶさまざまなのをお集めですな。枯木も山の賑わいじゃあないが、非人の餓鬼もこれだけ集まると、ちょっと見ばえがする。なかんずく、右手から二番目にいるのなんざあ、あなたと生写し。いわゆる御落胤《ごらくいん》とでもいったようなものなんですかな。ほれほれ御覧なさい。血統《ちすじ》は争われないもので、三白眼でこっちを睨んでいます」
 と、ぬけぬけとひとを小馬鹿にし
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