目もくれず、
「いわずと知れた、土井大炊頭《どいおおいのかみ》さまの御家中、なんてことはどうでもいい。いかにも御主家の名はうけたまわりますまい。おっしゃってくださらなくても結構。……それはともかく、下総の古河といえば、江戸の東のかため、そこのお国家老《くにがろう》ということになれば、なにかと御用多なこッてしょう。いや、お察しいたします」
 客はむやみに手をふって、
「滅相もない。手前は決して……」
「などとあわてられることはない。間違いなら、間違いでもよろしい。ただいまも申しあげましたように、そのへんのことはちゃあんと図星《ずぼし》。いや、ちゃんと呑みこんでおります。あなたが土井さまのお家老だなんてことは、手前はなにも知らない。いわんや、岩田というのは偽名で、実は石口十兵衛といわれるなんてことも、まるっきり知っちゃあいない」
「お、どうして、それを!」

   すさきの浜

 顎十郎は、エヘラエヘラ笑って、
「どうしてとは、水くさい。それに、しょうしょう往生ぎわが悪いですな。ここまできわめをつけられると、たいていの人間なら兜をぬぐにきまっているんだが、どうでもシラを切ろうというところに
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