戸の洲崎は、洲崎の浜なんぞとはいわない。石口十兵衛からその話を聞いたとき、手前はすぐ、こりゃあ『貞丈雑記《ていじょうざっき》』にある例の故事だと気がついた。むかし、……さる身分の高い方が、通りすがりの法印に、恐れながらあなたのお顔には乞食の相がある、といわれ、国をおさめる前に、悪因をはらっておこうというので、筑前小佐島《ちくぜんおさじま》のすさきの浜というところへ出かけ、網をひいている漁師から、乞食のていで、魚をもらって歩かれたという話がある。……私の推察では、評判どおり、ほんとうの源次郎は、やはりあのとき百姓家の離れで死に、いまの源次郎は、たぶん、通りすがりの乞食から買いとった子供なのに相違ないと思った。乞食の子供だから乞食の相があるのはあたり前のことで、雪曽という坊主が、それを看破したのはまた無理もない話。萩之進のほうは覚えのあることだから、大いに恐惶《きょうこう》して、なんとか乞食の相をはらいたいと思い、いまの故事に倣《なら》って、千人悲願を思い立ち、そこで書きのこした一筆《いっぴつ》が『すさきの浜』……」
藤波は頭をかき、
「なるほど、そういうわけだったんですか。そんなことと
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