たもの》を持った面々が四列つなぎになって並んでいるのを、かきわけるようにして前へ泳ぎだし、番衆に押しもどされてすごすご後列へもどって行くが、すぐまた出てきて逆上したように、お氷を、お氷をとあえぐ、四十二三の浪人ていの男。
眼鼻立ちの大がまえな一文字眉。底のすわった立派な顔貌だが、いわゆる長々の浪々。貧苦がガックリと頬を落しこみ、鬢の毛はほうけ立って、不精たらしく耳の上へおおいかぶさっている。
女手がないのか、ぶざまに継《つぎ》をあてたつぎだらけの古帷子《ふるかたびら》。経糸《たていと》の切れた古博多の帯を繩のようにしめ、鞘だけは丹後塗《たんごぬり》だが中身はたぶん竹光……腰の軽さも思いやられる。
顔色は土気色《つちけいろ》に沈んでいるのに、眼だけは火がついたようにギラギラと光り、瀬戸の古丼を突きだしながらうわずったような声で、
「あの……どうか、お氷……」
番衆も業を煮やし、つい、剣つき声になって、
「こいつ、また来た……わからねえにもほどがある、順にやると言ってるんだ……列につきなさい、列に」
浪人ていの男は、あふッと喘いで、
「申訳けもござらぬ……勝手を申すようですが、じつは……」
「じつはも、提灯もありゃしねえ、騒いでいるのは、あなたひとりだ……みな、あの通り静かにしているじゃないか」
「……じつは、たったひとりの伜が、このほどからの時疫《じやみ》で、昼夜をわかたぬ大熱《たいねつ》。……ひと心地もないうちにも、毎年、お氷を頂戴したことをおぼえていると見えまして、四五日前から口をおかずに、お氷、お雪と囈言《うわごと》を申します。……明日は明日はと、ようやく今朝まで宥《なだ》めすかし、さきほど、間もなく、もうお氷がおあがりになるということを聞きまして、飛ぶようにして駈けつけてまいったような次第……」
番衆はうるさがって、
「お雪がほしいのは誰もおなじこと。……子供の時疫どころか、親の死目にたったひと口なめさせたいと、きょうの明けがたから来て、待っているひともある。……親の死目の、子供の時疫のと、いちいち事情を聞いていたんじゃ、おさまりがつきやしない。……まあ、まあ、順にあげますから、列についてください」
浪人者は、みすぼらしいほどに頭をさげ、
「……まことにもって、勝手次第、お詫びのいたしようもござらぬが、大熱の伜をたった一人にしてまいりまして、こうしておりましても、万一を思われて、気もそぞろになります」
血走った眼で、列についている人びとを見まわし、
「お並びのご一統には、この通り……」
丼を持ったまま、地面に片膝をつき、
「……この通り、お詫びをもうす。……なにとぞ、手前勝手を……」
番衆は顔をしかめて、
「そんなところに膝をつかれては困る。……順々ときまったことだから、順のくるまでお待ちなさい」
「では、これほど、お願いをしても……」
「あんたも、くどい」
「どうでもお聞き入れくださらぬとあれば、やむをえぬ、……列にもどります。……ご無礼もうした」
うっすらと涙ぐんで、うなだれがちにトボトボと根津上のほうまでもどって行く。
そうするうちに、ようやく氷があがり、先頭のほうから順に氷室のほうへ動きだす。
氷室の前では、氷見《ひみ》の役人が十人ばかり金杓子《かねじゃくし》を持って待っていて、順々に差しだす丼や蓋物におあまりの氷をすくっては盛りこんでやる。
「さあ、お次お次……」
貰ったものは喜んで、
「どうもお手かずさま、ありがとうございました」
と、礼を言い、丼を袖や袂でおおいながらいそいそと小走りにもどって行く。
くだんの浪人者は、気もそぞろのふうで、のびあがり、肩で息をしながら、雪をいただいて帰る人びとを羨《うらや》ましそうに見おくっている。
門からあふれだし、弥生町の通りを根津までギッシリと四列につづいている人数だから、たいへん。なかなか順番がやって来ない。
それから四半刻、冷汗をかき、焦立つ胸をおさえながらジリジリと進んで行くうちに、どうやら氷室の近く。……あと四人で自分の順番がくる……。
前のひとりが去り、またひとり。……ようやく、待ちこがれた自分の番。
帷子の袖で汗をぬぐいながら、顫《ふる》える手で丼をさしだし、
「どうか、手前にも……」
氷見役は、金杓子をふって、
「お雪は……もう、ない」
「な、なんと言われる」
「お雪は、いまで、みなになった」
浪人者はクヮッと眼を見ひらいて、
「……では、もう……」
「気の毒だった」
「……ほんのひとかけらでも……」
「いや、ひとかけらもない。……今年は、特別に暑気がはげしく、おかこい氷が半分がた溶けてしまったところへ、例になくお貰いの人数が多く、氷室は、ごらんの通り土ばかり。……来年は、もうすこし早目にお出かけなさい」
「そ、
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング