らそれでいいですが……」
急に頓狂な声をあげ、
「おお、来ました、来ました!……小田原町のほうから三つばかり鳶凧がやって来ました。これから凧合戦がはじまりますぜ」
小田原町の方角から烏凧の二倍もあろうという大きなとんび凧が三つ。羽紋をえがいた銀泥《ぎんでい》を光らせながらズーッと金座の上のほうへ襲いかかって来て、手近のからす凧へ雁木をひっかけはじめた。
烏凧のほうでも負けてはいずに、三方から競いかかるようにして鳶凧にかかって行く。
多勢に無勢で、とんび凧は、一時、形勢が悪くなったように見えたが、凧の大身《おおみ》を利用して強引にのしかかり、ひとつずつ烏を雁木にひっかけて小田原町のほうへ逃げのびてしまった。……と思う間もなく、また次の新手《あらて》が三つ、ツイとこちらへ流れて来る。
顎十郎は手をうって、
「これは面白くなった、ひとつ、手前もこの合戦にくわわりましょう」
と言って、凧糸をあやつって烏凧を金座の上のほうへむけてやる。
ところが、どういうものか、とんび凧は顎十郎の凧を相手にしない。のびて行く顎十郎のからす凧をよけるようにしては、下廻っている金座の烏凧にばかり襲いかかる。顎十郎が焦立って鳶のほうへむければむけるだけ、鳶はうるさそうにツイと身をかわして顎十郎のからす凧を避ける。
顎十郎はニヤニヤ笑いをしながら、
「どうです、藤波さん、烏凧にしるしがあるわけじゃあるまいし、妙に手前の凧を相手にしない。これはまた、いったい、どうしたというのでしょう」
藤波は思わず横手をうって、
「つまり、金座の凧にいわくがある!」
顎十郎はヘラヘラと笑いだして、
「そこまでおわかりになれば、なにもこの上、手間をかける必要はない。……この二日来、手前が観察したことを、まとめてここでご披露しましょう」
と、言葉を切り、
「……たぶん、もうお察しのように、手前がこの金座のちかくで凧をあげるのは今が最初じゃない、あの事件のあった日から、これで三度目。……ところで、ごらんの通り、手前のからす凧だけ鳶がよけて行く……てんで相手にもしないということを発見した。……これは妙だと思いましてね、あらためて金座の中へ入って子供にまじってあげて見た。……しかるにです、やっぱり手前の烏凧だけが相手にされない。……なぜ、こうなんだろうと、いろいろ観察してみると、手前の凧は、ほかの金座の凧とはあがり方がちがう。……手前が小川町の凧八で買った凧は、ひどく高みへ飛びあがるが、金座の子供の凧は妙に下まわる。そういうちがいがある。……駈けあがらないのは金座の烏凧のくせなんで、それが、遠くからでもチャンと見わけがつくらしいんですな。……そこで、小川町の凧八へ行って聞いてみた。どうして金座の烏凧だけがあんなあがり方をするのだとね。……すると、凧八がいうには金座の子供にからす凧を売ったおぼえはありませんから、それはたぶん、金座のだれかが手づくりをしてやるんでしょうという返事です。……それから、暇にあかせて日本橋、京橋、神田とあらゆる凧屋を一軒のこらず聞いてまわりましたが、どの凧屋でも金座の子供に売っていない。……なにしろ、こんなふうに、少くとも日に三つや四つは切って持って行かれるんだから、ぜひあとの補充がいるわけ、ところが、いま言ったようにひとつも凧屋から出ていない。すると、これは凧八がいう通り金座に器用なやつがいて、切られるたびに子供らに新しい凧をつくってやっているのだと思うほかはない。……調べてみると、それが、それ、石井宇蔵という金蔵方」
「……なるほど」
「ところで、問題は、金座の凧が妙にはねあがらないということ。……これは、いったいどうしたというもんでしょうね」
「なにか、釣のぐあいでも……」
「釣もそうでしょうが、手前は、それを、普通のからす凧より重いためだと睨んだ」
藤波は引きとって、
「大ぶりな鳶凧と闘わせるためには、いささか、こちらの凧を重くしておかなくてはなるまい」
顎十郎はうなずいて、
「そうそう、手前も最初はそう思った。それはわかったが、そんならば手前の軽い凧へとっかかって来なければならないはず。ところが、かならず手前の凧を避けて行く。どう考えても、金座の凧しか欲しくないのだと見える」
またしても、ニヤリと笑って、
「このへんが、なかなか微妙でね、チョイと頭をひねりましたが、しかし、すぐ解決した。なにもかも、この凧合戦のアヤをすっかり見ぬいてしまったんです」
ペロンと舌を出して、下唇に湿《しめし》をくれると、
「……もともと、手前は、石船の衝突は、まともな事件だとは思っていない。……あれは、川なかですりかえたと思わせるための見せかけで、あのときは、なんの事件もなかったものと睨んでいる。……なぜかと言いますとね、どんな器用なことをしても、あのわずかなあいだ、しかも朝がけ、ひと目のたくさんあるなかで三十二の千両箱をすりかえるなんてえ芸当ができるわけのもんじゃない。……すると、どういうことになる。……三十二の千両箱は、石船ですりかえられたんじゃなくて、金座をでる前にもうそうなっていたんだと考えるほかはない。……言うまでもなく、あの事件の後前《あとさき》にはすりかえができるような、そういう隙は一度もなかったから。……賊は、実は金座の中にいるので、それを外部の事件と見せかけるために、ああいう手のこんだことをやった。……そういう見せかけの事件をつくろうとしたことが、逆に、事件はすでに金座の中にあったのだということを裏書することになるんですな。……では、どんな工合にしてやった?……聞くところでは、一度、小判に極印を打って包装して千両箱におさめ、これを金蔵に収納すると、一年一度しか金箱のなかを改めない。……そのくせ、金蔵方は無造作に、しょっちゅう金蔵に出たり入ったりしているんです。……すこし気長にかまえさえすれば、毎日すこしずつ千両箱の中身を古釘にすりかえるくらいなことはいくらだってできる。一日に百両づつみ二包みずつ掏りかえて行ったとしても、わずか半年で千両箱の三十ぐらいは空になる」
「いかにも!」
「……そこで、その金はどうした? 最初のうちならともかく、おいおい金高が多くなれば、ちょっとやそっとの場所へ匿《かく》しておけるもんじゃない。……無理に通用させるからこそ十両は十両で通るが、天保の改鋳以来、金分はほんの二分。……そんなものを金座の人間ともあろうものが、後生大事にかかえちゃいない。……吹屋の棟梁《とうりょう》と結託《けったく》して小判を吹きわけて純金分だけにしておけば、ほんのわずかの量ですむ。……まあ、手前はこう睨んだ。純金分にすると、なるほど金目はへるようだが、何年か後に、どこかの山の中へでもこっそり吹屋をつくって、元の小判に吹きかえればいいわけ。餅屋は餅屋で、そんなことはわけはない。……ところで、それにしたって、それだけのものを金座のなかへ匿しておくというのはあぶない。なんとかして、そとへ持ちだしたいと思うでしょう。その末、思いついたのがつまり烏凧。……ねえ、藤波さん、金座の烏凧にかぎって、ひどく重みがついていて、なんとなく高くあがれずに下まわるのはそのせいです。……そして、また、小田原町のとんび凧が下廻る烏凧ばかりねらうのも、じつにそのせいなんです」
藤波は、さすがに我を折って、
「いや、これはどうもなかなかのご明察」
顎十郎はかくべつ手柄顔もせず、
「論より証拠、ひとつ、分捕ってその実体をお目にかけますかな」
自分のからす凧を手ぢかの金座の烏凧のほうへむけて行き、雁木にからませてグイと引っきり、スルスルと手もとへひきよせ、つかんで来た烏凧の竹の骨を両手でへしおると、竹の骨のなかでキラリと光った黄金色《きんいろ》の細い線。……小判を純金に吹きわけて、金の針金にして凧の竹骨のなかに忍ばせてあった。
顎十郎は、へへん、と笑って、
「……さあ、藤波さん、早く行って小田原町のとんびをみんな召捕っておしまいなさい。早くしないと、空へ逃げてしまいますぜ。……それから、金蔵方の石井宇蔵、ほかに吹屋の棟梁がひとり……」
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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