茶碗の茶をすてて、角樽からドクドクとついで差しだすのを、受けとってグイ飲みすると、
「……このあいだの時化《しけ》で、遠州灘あたりでだいぶん揉まれたと見えて、よく、こなれている。……これは至極《しごく》。……それで、願いというのはどんなことだ」
ひょろ松は膝をかたくして、
「……じつは、きのう金座から出た二十万両……。そのうち三万二千両の金が、そっくり掏りかえられたんで……」
「ほほう、三万二千両とは大きいな。……金座に、なにか騒動があったという話は、いま聞いたばかしのところだったが。……それで、いってえ、そりゃあ、どうしたという間違いだったんだ」
「……節季の御用に神田橋のお勘定屋敷へおくる御用金で、万両箱が十六、千両箱が四十。……金座のほうからは常式方送役人《じょうしきかたおくりやくにん》が二人、勘定所からは勝手方勘定吟味役《かってがたかんじょうぎんみやく》が二人つきそって、常盤橋《ときわばし》ぎわから船で神田川をこぎのぼる途中、稲荷河岸《とうかんがし》のあたりで上総の石船に衝《つ》っかけられ、不意をくらって、四人の役人は船頭もろとも、もろに川なかへ投げだされ、御用船のほうは上り下りの荷足《にたり》の狭間《はざま》へはさまって退《の》くも引くもならなくなってしまった……」
顎十郎は話などはそっちのけ。三平と引っくみになって、大恐悦《おおきょうえつ》のていで間をおかず茶碗のやりとりをしている。
ひょろ松は気にして、
「聞いているんですか」
顎十郎は※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]《おく》びをしながら、
「聞いている、聞いている。……ひッ」
「……役人のはうは、濡れねずみになって船へはいあがり、ぶつぶつ言いながら船頭を急がせて川なかへ押しだそうとしたが、いまも申したように、ギッシリ荷足と組みあってしまって思うようにならない。……あっちの荷足をしかりつけ、こっちの肥船《こえぶね》をおどかして、ようやく川なかへ漕ぎだしたんですが、このごたくさのあいだに衝きあたった石船のほうは、いちはやく逃げてしまって影もかたちもない。……念のために金箱のかずを読んで見ると、相違なくそっくりある。……濡れねずみになったほうは災難とあきらめて、ようやく神田橋ぎわまで辿りつき、受けわたしをすませて二十万両の金は無事に勘定屋敷のお金蔵へおさまった……」
「ひッ……な、なあ
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