まりを、ヒョイヒョイと飛びこえながらこっちへやって来るのは、江戸一といわれる捕物の名人、南町奉行所の控同心、藤波友衛。
 れいによって、癇走った顔をトゲトゲと尖らせ、切れの長いひと皮|瞼《まぶた》のあいだから白眼がちの眼を光らせながら近づいて来ると、冷酷そうな、うすい唇をへの字にひきむすんで、ものも言わずにぬうと突っ立つ。
 顎十郎は馬鹿ていねいに腰をかがめ、
「これは藤波先生、遠路のところを、ようこそ。……さすが、江戸一の捕物の名人といわれるだけあって、職務にはご熱心、はばかりながら、感佩《かんぱい》いたしました」
 藤波は膠《にべ》もなく、
「それで、ご用といわれるのは?」
「わざわざお呼立てして恐縮でしたが、チトお目にかけたいものがあって……」
「だから、なんだ、と訊いている」
「御用繁多のあなたをこんなところへお呼立てする以上、申すまでもなく、このたびの金座の件……」
 藤波は、ふん、と陰気に笑って、
「また、出しゃばりか。……おおかた、そんなことだろうと思った」
 顎十郎は、へへ、と顎を撫でて、
「いや、出しゃばりと言われると恐縮いたしますが、聞くところでは、あなたは金座のお金蔵方、立馬左内のせがれの芳太郎という子供をお手あてになったそうで……」
「それが、どうした」
「いちいちお咎《とが》めでは、お話もできません、まあ、平に平に。……くどいことはお嫌いのようですから、ざっくばらんに申しますが、どうも芳太郎という子供がかわいそうで、なんとかして、無実の証《あかし》を立ててやりたい、……それで、出しゃばりの譏《そしり》もかえりみず、出しゃばりをしているわけなんで……。ご承知の通り、手前は当今、ほうぼうの役割部屋で養われている名もない権八、これで功名しようの、あなたをやっつけようの、そんな娑婆《しゃば》ッけは毛頭《もうとう》ない。……ただもう、その無実の人間を助けるのが道楽とでも申しますか……」
 藤波は、キュッと眼尻をつりあげて、
「だいぶ、気障《きざ》なセリフがまじるようだが、では、あなたは芳太郎が無実だという、たしかな証拠をにぎっているとでも言うのか」
「証拠になるかならないか、それは、これからご相談しようと思うのですが……」
 おほん、と咳ばらいをして、
「このたびのあなたのお手あての理由は、芳太郎という子供が、時ならぬ朝の六ツごろ、白地に赤二本引きの
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