と振りかえって、
「おう、ひょろ松か……」
「ひょろ松か、も、ないもんです。……なにをしているんですってば」
「なにをって、見たらわかるだろう、凧をあげている」
 ひょろ松は、ふくれッ面をして、
「あなたのようなのんきな人を見たことがない。……いよいよ南と北のあいがかり、火の出るような鍔《つば》ぜりあいになってるというのに、こんなところで凧あげなんかしているひとがありますか! 呆れかえってものが言えやしない」
「すっかり病みつきになってな。……ひょろ松、おもしろいからお前もやって見ろ」
「ちッ、凧どころの騒ぎですか。……南では、藤波が金座のお蔵方の立馬左内《たつまさない》というのを、こんどの立役者だときわめをつけ、十歳《とお》になる伜《せがれ》もろとも番屋へひきあげ、追っつけ口書をとろうとしているというのに、北の大将は餓鬼《がき》どもにまじって、火除地の原っぱで凧あげたあ、どうですか。……役割部屋へたずねて行くと、毎日、朝っから飛びだして、夕方でなけりゃ帰らないということだから、てっきり身を入れてやっていてくださるんだとばかり思っていたら、あなたは、こんなところで遊んでいたんですか」
「ああ、そうだよ」
 ひょろ松は泣きだしそうな顔で、
「そうだよ、は泣かせるね。……こんなことなら、いっそ初《はな》ッから頼りにするんじゃなかった。……当にしていたばっかりに、あっしの方はてんで持駒《もちごま》なし。……あっしのほうはどうしてくれるんです」
 顎十郎は、ちょいと凧の糸をあしらってから、
「……ほう、藤波がそんな早いことをやったか。……それにしても、そんな子供までひきあげたのは、どういう経緯《いきさつ》のあることなんだ」
 ひょろ松は、顎十郎のそばへしゃがみながら、
「……つまり、御用金が金座から出た朝、凧をあげたのは、その子供ひとりだったんで……」
「それが、どうしたというんだ」
「……ご承知のように、御用金が金座を出たのが朝の六ツ刻。……ところが、左内のせがれの芳《よし》太郎というのが、それから半刻ほど前に長屋の空地で、たったひとりで凧をあげていた。……いくら好きでも、六ツといえば夜があけたばかり。……そういう時刻に凧をあげるのはおかしい。……ところで、芳太郎の父親の左内はお金蔵方。……藤波の推察じゃ、これから間もなく金座から御用金が出るということを、子供のからす凧で
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