《ふよう》の間詰《まづめ》、勘定奉行支配下においた。
元禄十一年に、金座を日本橋|本町《ほんちょう》一丁目、常盤橋わきに移し、明治二年に造幣局が新設されるまでずっとその位置にあった。
金座は、奥行き七十二|間《けん》、間口四十六間の広大な地域をしめ、黒板塀をめぐらして厳重に外部と遮断し、入口のお長屋門は日没の合図とともに閉じられ、以後、ぜったい出入禁止の定めになっていた。
黒板塀の地内には、事務所にあたる金局《きんきょく》、鋳造所の吹所、局長の官舎にあたるお金改役御役宅、下役、職人の住むお長屋と四つの廓《くるわ》にわかれ、いまの日本銀行のあるところが後藤の役宅で、金吹町《かねふきちょう》のあたりにお長屋の廓があった。
金局には、一口に金座人という改役、年寄役、触頭《ふれがしら》役、勘定役、平《ひら》役などの役づきの家がらが二十戸ほど居住し、金座人のほかに座人格、座人並、手伝い、小役人などという役があった。
吹所には、吹所|棟梁《とうりょう》が十人、その下に棟梁手伝いがいて、約二百人の職人を支配していた。
金座の仕事は、第一に、小判、分判の金吹で、幕府の御手山《おてやま》、その他、諸国の山から出る山金を買入れて小判をつくるが、そのほかに上納金の鑑定封印、潰金《つぶしきん》、はずし金の買入れ、両替屋から瑕金《きずきん》、軽目金《かるめきん》をあつめて、これを改鋳する仕事もした。
吹所の一廓は、吹屋、打物場《うちものば》、下鉢取場《したはちとりば》、吹所棟梁詰所、細工場《さいくば》、色附場《いろつけば》の六|棟《むね》にわかれていた。
小判吹きはなかなか手のかかるもので、まず位改《くらいあらため》といって、金質の検査をし、その後に、さまざまの金質のものを一定の品位にする位戻《くらいもどし》ということをやり、砕金《さいきん》といって地金《じがね》を細かに貫目を改め、火を入れて焼金《やきがね》にし、銀、銅、その他をまぜる寄吹《よせぶき》の工程をへ、それから判合《はんあい》、つまり、品質を決定し、それを打ちのばして延金《のべきん》にし、型で打抜き、刻印を捺《お》し、色附をしてようやく小判ができあがる。
金局では、一枚ずつ改めて包装し、千両、二千両箱におさめてこれを金蔵へ収納する。
なにしろ通貨をあつかう場所なので、金局の平役以下、手伝い、小役人、吹所の棟梁、
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