のおきぬと妹娘のおさよ、それに一番番頭の鶴吉、手代の忠助と忠助の弟の市造と、この六人が奥で飯を喰うしきたりになっているんでございます」
「なるほど」
「ちょうど二十九日の夜、晩飯がすんで半刻ばかりすると、いま言った三人だけが苦しみ出し、あっという間にこれがもういけない。……なんの不思議もないようだが、ねえ、阿古十郎さん、よッく考えてごらんなさい。一緒に膳についた妹娘のおさよと忠助と忠助の弟の市造だけは、けろりとして、しゃっくりひとつしねえんです」
「それが、どうだというんだ」
「なるほど、これだけじゃ、納得がゆかねえでしょうから、かんじんのところを掻いつまんで申しますと、死んだのは、三人とも忠助にとっては邪魔なやつばかりで、生きのこったのは忠助としては、どうあっても、生かしておいたはずの三人なんです。これじゃア話がすこしうますぎやしませんか」
と言って、チラリと庄兵衛のほうを見て、
「尤も、あッしの智慧じゃない。これはけぶ[#「けぶ」に傍点]だと最初に言い出したのは、実は旦那なんです。そう言われて見ると、なるほど……」
庄兵衛は、大きな赭鼻《あかはな》をうごめかしながら引取って、
「どうだ、阿古十郎。あの石井順庵が、これはコロリだと言い切ったのだが、与力筆頭の眼力はそんなチョロッカなもんじゃない。これは、なにかアヤがあると、たちまち洞察《みぬ》いてしまった」
ひょろ松は前につづけ、
「そう言われて、あッしも成程と思い、堺屋へ乗りこんで調べて見ますと、すぐ、いま言った関係がわかったんです。……忠助というのは主人の遠縁にあたるもので、弟の市造と三年前から堺屋へ引き取られて手代がわりに働かされていたのです。……ところが、この忠助は、いつの間にか妹娘のおさよと出来てしまった。これが、陰気な、見るからに気のめいるような男で、仕事ッぷりもハキハキしないところから、平素から嘉兵衛の気に入らなかったらしいんですが、こんなことがあったので、主人はすっかり腹を立て、一度は弟もろとも追い出されかかり、ようやく詫びを入れて店へ帰ったようなこともあるんです。店は一番番頭の鶴吉に姉娘をめあわせてそれに譲ることになっていた。その折は弟と二人に暖簾を分けて貰えるはずだったが、こんなことでそのあてもなくなった。……一方、主人の嘉兵衛には身寄というものはないのだから、姉娘と鶴吉を亡いものにすれば、だまっていても、堺屋の身代は当然忠助のものになる。……どうです、これでおわかりになりましたろう」
顎十郎は顎をひねりひねり、うっそりと聞き入っていたが、急に無遠慮な声で笑い出し、
「叔父上、それから、ひょろ松も……、二人の口真似をするわけじゃねえが、なるほど、こりゃあ、すこしけぶですぜ」
庄兵衛は、たちまちいきり立って、
「なにが、どう、けぶなのだ」
「だって、そうじゃありませんか。それほどの悪企みをやってのける人間が、だれに言わせたって、かならず自分に疑いがかかるような、そんなとんまな真似をするはずがねえ。弟のひとりぐらいはちゃんと道連れにつけてやっているはずです。……それじゃ、まるで、手前がやりましたとふれて歩いているようなもんだ。こりゃあ、すこし、ひどすぎる」
「だから、それ、うまく虎列剌と胡麻化せると思って、大きに多寡をくくってやった仕事なのだわ」
ひょろ松は、それにつづいて、
「阿古十郎さん、あなたのおっしゃることは一応ごもっともですが、まだほかにいけないことがあるんです。……いったい、三人はその晩、蛤汁が出ると、忠助は妹娘のおさよと弟の市造に、このごろ虎列剌が流行《はや》っているから、蛤など喰うな、と独言のように三度もくりかえしたというのです。あまりしつっこく言うので二人は気がさして喰うのを差しひかえた。これは、給仕に出ていた女中のかねの口からわかったのですが、こんなはっきりした手証《てしょう》がある以上、こりゃア、のっぴきならねえと思うのですが」
顎十郎は、かぶりを振って、
「そう聞くと、いよいよいけねえの。……虎列剌の大流行《おおはやり》のさなかに蛤を喰うなどというのが、そもそも無茶なんだ。細心な男なら誰れだって一応はそのくらいの注意はする。然も、それは、なにも三人だけに限って言ったというわけではなかろう。一座している以上、ほかの三人の耳にも当然はいることだ。けちをつけようと思うなら、一座の中でそんな尻ぬけたことを口走りはしない。ひょッとすると、あとの三人にも怖《おじ》けづかして喰わせずにしまうかも知れねえじゃねえか。三人まで人を殺そうとたくらむ男のすることじゃない」
庄兵衛は癇癪を起して、
「よけいな詮索はいらぬわい。貴様はなにかつべこべいうが、当の忠助が、私がいたしました、私のしたことに相違ありませんと白状し、もう爪印までとってある」
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