ぼえのある老人だから、屋敷を出る時はうだうだいっていたが、いざ釣りはじめると面白いように喰いつく。れいの凝性《こりしょう》で本式に腰蓑一つになって丈一の継竿《つぎざお》をうち振りうち振り、はや他念のない模様である。
気の毒なのはひょろ松で、質にとられた案山子《かかし》のように、ぶざまにじんじんばしょりをし、遠くから竿をのばして、気がなさそうに糸を垂れている。
ところで、顎十郎のほうはいそがしい。
いつもののっそりにひきかえて、なにが気にいらないのか、糸をおろしたと思うとすぐまた引上げ、上によったり下によったり、そうかと思うと、渚の水を蹴返しながら又ひょろ松のそばへもどってくる。
さすがに、ひょろ松も気にしだして、
「阿古十郎さん、あなた今日はちと、どうかしていますぜ。……そう、裾から火がついたように駈け廻ったって魚は釣れやしません。……あっしと並んで、ここでしばらく、じっくり鈎をおろしてごらんなせえ」
顎十郎は、のほんとした顔で、
「おれは、魚と駈けッくらべをしてる気なんだが、なるほどどうも追いつけねえの。……ふん、じゃあ、ここで腰をおちつけてみるとするか。……だが、ひょろ松
前へ
次へ
全25ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング