ぼえのある老人だから、屋敷を出る時はうだうだいっていたが、いざ釣りはじめると面白いように喰いつく。れいの凝性《こりしょう》で本式に腰蓑一つになって丈一の継竿《つぎざお》をうち振りうち振り、はや他念のない模様である。
 気の毒なのはひょろ松で、質にとられた案山子《かかし》のように、ぶざまにじんじんばしょりをし、遠くから竿をのばして、気がなさそうに糸を垂れている。
 ところで、顎十郎のほうはいそがしい。
 いつもののっそりにひきかえて、なにが気にいらないのか、糸をおろしたと思うとすぐまた引上げ、上によったり下によったり、そうかと思うと、渚の水を蹴返しながら又ひょろ松のそばへもどってくる。
 さすがに、ひょろ松も気にしだして、
「阿古十郎さん、あなた今日はちと、どうかしていますぜ。……そう、裾から火がついたように駈け廻ったって魚は釣れやしません。……あっしと並んで、ここでしばらく、じっくり鈎をおろしてごらんなせえ」
 顎十郎は、のほんとした顔で、
「おれは、魚と駈けッくらべをしてる気なんだが、なるほどどうも追いつけねえの。……ふん、じゃあ、ここで腰をおちつけてみるとするか。……だが、ひょろ松
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