ているものと見える。
「いよう」
と、入口で威勢のいい声がする。
みなが、なんとなくぞッとして、そのほうへ振りかえってみると、顎十郎が竿をかついでぬうと立っている。
ちびた袷をずっこけに着流し、そんなふうにして立っているところは、いかさま堕落した浦島太郎のようである。
庄兵衛は、たちまち青筋を立て、
「野放図な、いよう、とはそもそもなんであるか。……見れば屋敷の中に釣竿なんぞかつぎこんで、これ、ちとたしなまッせい」
こちらのほうは立ったままで、
「相変らず、ごろごろと、雷の多い年ですな」
といって、けろりとした顔で、
「時に叔父上、潮ざしがいいから、釣りにでも出かけましょう。すこし汐風にでも吹かれて、気保養をなせえ」
庄兵衛は、いよいよ苦りきって、
「この御用多に、釣りなどと緩怠至極な」
顎十郎は耳にもいれず、
「叔父上の口癖じゃあねえが、そもそもこの魚釣りというのには三徳がある。……だいいちに気を養い、第二にせっかちがなおり、第三に薬罐あたまに毛が生える。……たった一人の叔父上に、せめて一日、気保養をさせたいと、こうして気をもんでいるわっし。これも血につながる近親なれ
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