顎十郎捕物帳
鎌いたち
久生十蘭
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)魚釣談義《うおつりだんぎ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)釣|気狂《きちが》い
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「魚+與」、第4水準2−93−90]《たなご》釣り
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魚釣談義《うおつりだんぎ》
神田小川町『川崎』という釣道具屋。欅の大きな庇《ひさし》看板に釣鈎《つりばり》と河豚《ふぐ》を面白い図柄に彫りつけてあるので、ひとくちに、神田の小河豚屋《しおさいや》で通る老舗《しにせ》。
その店先に、釣鈎や釣竿、餌筥《えばこ》などをところも狭《せ》にとりひろげ、ぬうとかけているのが顎十郎。所在なさに、とうとう釣りでもはじめる気と見える。
顎十郎と向きあっているのは、辣薤面《らっきょうづら》のひどく仔細らしい番頭で、魚釣りの縁起、釣りの流派、潮のみちひきから餌のよしあしと、縷《る》々としてうむことがない。
阿古十郎のほうは、例のごとく、垢染んだ一枚看板の羽二重の素袷、溜塗《ためぬり》のお粗末な脇差を天秤《てんびん》差しにし、懐から手先を出して、へちまなりの、ばかばかしくながい顎の先を撫でながら、飽きたような顔もしないでのんびりときいている。……なにしろ、日も永いので。
「……いったい、この青鱚《あおぎす》釣りともうしますのは、寛文のころ、五大力仁平《ごだいりきにへい》という人が釣ったのがはじめだとされているんでございまして、春の鮒の乗ッ込釣り、秋の鰡《ぼら》のしび釣り、冬の※[#「魚+與」、第4水準2−93−90]《たなご》釣りと加えて、四大釣りといわれるほどでございまして、いかにも江戸前な釣りなんでございます。……尺を越えますと寒風ともうし、八寸以上のを鼻曲り、七八寸を三歳鱚。五六寸を二歳鱚。当歳鱚は腹が白うございまして、二歳は薄黄色、三歳以上は黄色に赤味がまじり、背通りは黒うございます。海鱚は白鱚ともうし、青鱚は川の鱚なんでございます。釣鈎、釣竿、釣糸、錘《おもり》、えば[#「えば」に傍点]にいたりますまで、いちいちこまかい習いがあることでございまして、とても、ひとくちには……へい」
「さようか、よく、わかった。……それで、この節は、どの辺が釣り場所なのか」
「およそ釣りの時節は、温涼風雨陰晴満干、それに、潮の清濁によりまして、年々遅速がございますが、今年は潮だちがよろしゅうございましたので、このごろでございましたらば、鉄炮洲《てっぽうず》の高洲、……まず、久志本《くしもと》屋敷の棒杭から樫木までの七八町のあいだが寄り場になっておるんでございます。……彼岸《ひがん》の中日から以後十日までのあいだは中川の川口、それ以後は、佃《つくだ》と川崎が目当て場になります」
「なるほど、くわしいもんだの」
「さようでござります」
といって、きょろりと空嘯《うそぶ》く。
「すると、なんだな、青鱚釣りは、このごろは、みな、そこへ集まるてえわけか」
「いえ、みなというわけにはまいりませんです、へい。……潮ざしをはからって場所を決めるのは、相当の名人がいたすことでございます」
「じゃア、ご名人にたずねるがの、するてえとなんだナ、竿さえひっかついでそこへ行きゃあ、いやでも、釣れるてえわけか」
「ごじょうだん」
と、らっきょう、いやな顔をする。
「まア、そりゃじょうだんだがの、ちょいとききたいことがある」
と、いいながら、懐紙のあいだから、うやうやしげに一本の釣鈎をとり出し、
「おれのおやじは、ひどい釣|気狂《きちが》いでの、いまわの際《きわ》におれを枕もとによび、血筋というものは争えないもので、いずれは、お前も釣りに凝り出すようなことになるのだろうが、そのせつは、忘れてもほかの釣鈎で釣ってはならねえ。どうでも、この鈎で釣ってくれ、といってナ、そうして、眼をおとした。……なにしろ、いまわの頼みだから、どうせ釣りをするなら、これと同じ鈎で釣ってやりてえと思うのだが、これと同じものが、貴様のところにあるかな」
例によって、わけのわからぬことをいう。番頭は鈎を手にとって眺めていたが、
「そもそも、鱚鈎ともうしますのはむずかしいもので、例えば善宗流《ぜんそうりゅう》の沖鈎、宅間玄牧《たくまげんぼく》流の隼《はやぶさ》鈎、芝|高輪《たかなわ》の釣師|太郎助《たろすけ》流の筥鈎などと、家伝《かでん》によりましていろいろ型がござりますが、……しかし、これなぞは、普通、見越鈎といわれる、ごくありふれたもので、へへ、御遺言までもございません、手前どもでは、一本一文に商っております」
顎十郎は、頭へ手をやり、
「ほい
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