、ここでじっくり糸を垂れていると、……かならず釣れるか、おまえ、きっとうけあうか」
 みょうにからんだようなことをいう。
 ひょろ松は、へこたれて、
「うけあうという訳にはいきませんが、まあ、ひとつやってごらんなさいまし」
「まあ、じゃ、いやだ。おまえが、かならず、うけあうといわなきゃア、この辺で水を蹴ッくらかえして釣れないようにしてやる」
「こりゃアおどろきましたな。……じゃ、まあ、うけあいますからやってごらんなせえまし」
 顎十郎は、ニヤリと笑って、
「よし、とうとううけあうとぬかしたな。きっとおれに釣らせるな。……ときに、ひょろ松、おれが釣ろうというのは、腹の白っこい、指ほどの鱚じゃねえんだぜ」
「へへ、じゃ、鉄炮洲で赤穂鯛《あこうだい》でも釣ろうとおっしゃるんですかい」
 顎十郎は、首をふって、
「いや、もっと大きい」
「ごじょうだん。……じゃ、三崎の真鰹《まながつお》でもひきよせようッてんですかい」
「どうして、まだまだ」
 顎十郎のいい方はすこし憎体《にくてい》である。
 ひょろ松はムキになるたちだから、ムッとして、
「じゃア鯨でも」
 顎十郎は渚に棒杭立ちになったまま、ながい顎の先をつまみながら、
「いや、そうまで大きくはない」
「それじゃアあっしにはわかりかねまさ。……夕風に吹かれながら、こんなところであなたと魚づくしをやる気はねえのだから、鮫《さめ》なと海坊主《うみぼうず》なとお好きなものをお釣りなせえ。両国の請地《うけち》へ見世物に出すなら後見《こうけん》ぐらいはいたします」
「まあ、そうおこるな。……そうしておめえがむくれている図なんざ、藪蚊《やぶっか》が立ちぐらみをしたようで、あまり見られた態《ざま》じゃない。……からかっている訳じゃねえ、しんじつのはなしだ。洒落やじょうだんで、このおれが釣りになんぞくる訳がない。おれの釣りたいものに手をかしてもらいたいと思って、それでおまえをここまでおびき出したんだ。どうだ、ひょろ松、片棒をかついではくれまいかの」
 ひょろ松は、真顔になって、
「へい、おはなしの模様では、どのようなお手伝いもいたしますが。……それで、あなたが釣りたいとおっしゃる、その、めあての魚は」
「海にはいねえ魚だ」
「そりゃアむずかしい御注文」
「鎌いたちだ」
 えッ、と息を引いて、
「阿古十郎さん、あなた……」
 渚の下手を、顎でしゃくって、
「鎌いたちは、あそこで泳いでいる」

   殺手《さって》

 年の頃は三十五六歳、険高《けんだか》な、蒼味がかった面の、唇ばかり毒々しく赤い、異相というのではないが、なんともいい表しがたい凄惨な色が流れていて、なにか人を慴伏《しょうふく》させるような気合がある。
 膝きりの布子《ぬのこ》を着、足首まで水に這入って静かに糸を垂れている。
 つい今しがた来たのだ。さきほどまではこの近くに姿は見えなかった。
 無反《むぞり》の長物《ながもの》を落差しにし、右を懐手にして、左手で竿をのべている。月代《さかやき》は蒼みわたり、身なりがきっぱりとしているから浪人者ではあるまい、相当の家中《かちゅう》と見わけられるのである。
 ひょろ松は、さすがに心得のあるもので、上汐を見るふりで眼の上に翳《かざ》した手の間からまじまじとそのさむらいを眺めていたが、さり気ないようすで顎十郎のほうへふりかえると、
「阿古十郎さん、あれが?」
 と、眼差で鋭くたずねる。
 そのくせ腰のひねりは岸のほうへ廻りこんでいて、さむらいものの退路を断つような構えになっている。なりわいといいながら、さすがに隙のないことであった。
 顎十郎は、うむ、とうなずいて、
「今に釣れるから、そうしたら、よッく竿の先を見ていろ、眼をはなすな。……言うがにまさる、いやおうなく、なっとくのいくことがある」
「へえ」
 といって、ひょろ松、餌をつけかえて鈎を沖に投げこみ、腰をひねって竿の先をさむらいもののほうに向け、凝ったようになって向うの竿先をにらみ始める。目通しにこちらの竿の先と向うの竿の先が一点になって。……これも心得のあることである。
 それから、ややしばらく、さむらいものの籠手《こて》になにかチラと気勢がうごく。
 はッと息をつめていると、沖に直《すぐ》にのべた手の拳も膝もゆらりとも動かず、ただ、竿先だけが虚空《こくう》に三寸ばかりの新月をえがいたと思うと、どういう至妙の業によるのであろう、鈎先は青鱚をつけたまま、おのずからはね返って魚籠の中に入った。業というか気合というか、なににせよ、剣道の至奥《しおう》にも疏通《そつう》した、すさまじいばかりの気魄であった。
「どうだ、ひょろ松、合点《がてん》がいったか」
 ひょろ松は、額にびっしょりと冷汗をかき、
「おそれ入りました」
「間違いはねえだろう」
「ま
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