で、この節は、どの辺が釣り場所なのか」
「およそ釣りの時節は、温涼風雨陰晴満干、それに、潮の清濁によりまして、年々遅速がございますが、今年は潮だちがよろしゅうございましたので、このごろでございましたらば、鉄炮洲《てっぽうず》の高洲、……まず、久志本《くしもと》屋敷の棒杭から樫木までの七八町のあいだが寄り場になっておるんでございます。……彼岸《ひがん》の中日から以後十日までのあいだは中川の川口、それ以後は、佃《つくだ》と川崎が目当て場になります」
「なるほど、くわしいもんだの」
「さようでござります」
 といって、きょろりと空嘯《うそぶ》く。
「すると、なんだな、青鱚釣りは、このごろは、みな、そこへ集まるてえわけか」
「いえ、みなというわけにはまいりませんです、へい。……潮ざしをはからって場所を決めるのは、相当の名人がいたすことでございます」
「じゃア、ご名人にたずねるがの、するてえとなんだナ、竿さえひっかついでそこへ行きゃあ、いやでも、釣れるてえわけか」
「ごじょうだん」
 と、らっきょう、いやな顔をする。
「まア、そりゃじょうだんだがの、ちょいとききたいことがある」
 と、いいながら、懐紙のあいだから、うやうやしげに一本の釣鈎をとり出し、
「おれのおやじは、ひどい釣|気狂《きちが》いでの、いまわの際《きわ》におれを枕もとによび、血筋というものは争えないもので、いずれは、お前も釣りに凝り出すようなことになるのだろうが、そのせつは、忘れてもほかの釣鈎で釣ってはならねえ。どうでも、この鈎で釣ってくれ、といってナ、そうして、眼をおとした。……なにしろ、いまわの頼みだから、どうせ釣りをするなら、これと同じ鈎で釣ってやりてえと思うのだが、これと同じものが、貴様のところにあるかな」
 例によって、わけのわからぬことをいう。番頭は鈎を手にとって眺めていたが、
「そもそも、鱚鈎ともうしますのはむずかしいもので、例えば善宗流《ぜんそうりゅう》の沖鈎、宅間玄牧《たくまげんぼく》流の隼《はやぶさ》鈎、芝|高輪《たかなわ》の釣師|太郎助《たろすけ》流の筥鈎などと、家伝《かでん》によりましていろいろ型がござりますが、……しかし、これなぞは、普通、見越鈎といわれる、ごくありふれたもので、へへ、御遺言までもございません、手前どもでは、一本一文に商っております」
 顎十郎は、頭へ手をやり、
「ほい
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