道路の真ン中で地団太をふみ、
「これ、口がすぎる。……この俺にたいして、子供とはなんの言い草だ。……ぶ、ぶれいだぞ」
顎十郎は、苦笑しながら、
「そんなところで足ぶみしていないで、まア、お歩きなさい、人が見て笑ってます」
庄兵衛老、禿頭から湯気を立てていきり立ち、
「貴様のようなやつとは並んで歩かん、俺はひとりで行く」
「へへへ、じゃア、まア、前後になって歩きましょう、それだって話は出来る。……ときに、叔父上、それはそれとして、じゃア、死体はどうして運んで来たのでしょうな」
庄兵衛は、ずんずん先に立って歩きながら、
「わかり切ったことを! つづらにでも入れて一ツ橋を渡って来たのだ」
顎十郎は、懐手をしながら、ぶらぶらうしろからついて行く。
「でも、世の中には、船ッてえものもありやす」
「船なら、なにしにわざわざ鎌倉河岸へなど持ってくるか、たわけが! 沖へ持って行って捨てるわい」
「そこがね、お化けのちんみょうなところでさ。あの草履の裏には泥こそついていないが、そのかわり、魚の鱗《うろこ》がついていましたぜ。釣舟へのせて大川からここまで上って来たにちがいありません、そこにお気がつかれぬとは、吟味方筆頭もおかげがねえ」
「なに! 吟味方筆頭がどうしたと。……なにかゴヤゴヤもうしたな。もう一度はっきり言って見ろ。そのままに捨ておかんぞ」
「まあまあ」
「うるさい!」
「まあ、そう、ご立腹なさらずに、薬罐《やかん》が煮こぼれます」
「放っとけ、俺の薬罐だ。……貴様のようなやつと一緒には歩かん。おれは、ひとりで帰る」
真赤にいきり立って、ドンドンと神保町《じんぼうちょう》の方へ歩いて行ってしまった。
千鳥《ちどり》ガ淵《ふち》
顎十郎は、駈け戻って来たひょろ松の顔を見て、
「おい、叔父はとうとう怒って行ってしまった。……じつは、ここにいられては都合が悪いでな、わざと怒らせて追ッ払った」
「でも、あまり怒らせてしまうと、せっかくの小遣の口がフイになりますぜ」
「それもあるが、どうせ、また叔父の手柄にするのだから、あまり俺が、見透したようじゃ工合が悪い」
「まったく、あなたのような方はめずらしい。……じゃ、なんですか、いまの比丘尼の件は、もう、見込みがついたんで……」
「ついた、ついた、大つきだ」
「はてね」
「少々、入組んでいるから、歩きながらじゃ、話もできまい」
「へい、心得ています。こんなこともあろうかと思って……」
ポンと懐中を叩いて、
「軍用金はこの通り」
顎十郎は、ニヤリと笑って、
「話が早くて、なによりだ」
『神田川』へ押上って鰻酒《うなぎざけ》と鰻山葵《うなぎわさび》をあつらえ、
「じゃ、うかがいましょうか」
顎十郎は、いつものトホンとした顔つきになって、
「……『馬の尻尾』に『呉絽帯に織出した都鳥』……それに、『比丘尼の身投げ』で三題噺《さんだいばなし》にならねえか」
「冗談……、からかっちゃ、いけません」
「からかうどころか、大真面目だ」
「へへえ」
「……お前、昨日きいていたろう。呉絽というのは経糸に羊の梳毛をつかい、緯糸に駱駝の毛をつかう。……支那の河西じゃあるめえし、江戸にゃ羊もいなけりゃ駱駝なんていうものもいない」
「でも、あれは支那から仕入れたんだと……」
「支那から仕入れた織物に、光琳風の都鳥などついているものか」
「へえ」
「支那から仕入れたと言って、そのじつ、日本のどこかで織り、支那渡りだと言って高く売りつける。……げんに、以前、泉州堺の織場でいちど真似てつくりかけたと口を辷らせたじゃねえか」
「へえ、そうでした」
「日本で織るとなると、いま言ったように、羊の毛もなけりゃ駱駝の毛もない。……すると、どういうことになる」
「どういう……」
「それ、そこで、馬の尻尾……」
ひょろ松は、膝を拍って、
「いや、これは!」
「……それから、女の髪の毛……。そこで、毛のない比丘尼」
「冗談どころじゃない。なるほど、こりゃ三題噺、みごとにでかしました」
「でかしたのは俺の手柄じゃない。初《はな》っから、ちゃんと筋が通っていたんだ」
ひょろ松は、感にたえた面持で、
「阿古十郎さん、煽《おだ》てるわけじゃありませんよ、決して、煽てるわけじゃありませんが、あなたは凄い」
「いや、それほどでもない、まだあとがあるんだ。ここまでは、ほんの序の口。……それはそうとあの都鳥を、お前、なんと見た」
「ですから、日本で織っているという証拠……」
「それは、今更いうまでもない。……日本も日本、あの呉絽を織ってるのは江戸の内なんだぜ」
「えッ」
「……都鳥に縁のあるところといえば、どこだ」
「……都鳥といえば、隅田川にきまったもんで」
「都鳥は、どういう類の鳥だ」
「……ひと口に、千鳥の類……」
「隅田川の近くで千鳥に縁のある地名といえば」
ひょろ松は考えていたが、すぐ、
「……千鳥ガ淵……」
顎十郎は、手を拍って、
「いや、ご名答。……俺のかんがえるところじゃ、隅田べり、千鳥ガ淵の近くで女どもが押しこめられ、髪の毛と馬の尻尾でひどい目に逢いながら呉絽を織らされている。……その中で、智慧のある女が、なんとかして救い出してもらいたいと、自分たちが押しこめられているところを教えるために、あんなものを帯の端に織出した」
「なるほど、そんなことでもありましょうか、こりゃ、いかにも大事《おおごと》だ。……でも、阿古十郎さん、あなた、あの都鳥を見ただけで、どうして、それだけのことを洞察《みぬ》きました」
顎十郎は、苦笑して、
「それは、いまわかったんだ」
「えッ、いま?」
「昨日、花世のところで都鳥を見たときは、千鳥ガ淵とまでは察しられなかった。……ところでな、いま、比丘尼の死骸を見たんで、なにもかも、いっぺんに綾が解けた」
「それは、また、どうして?」
「あれは身投げでもなんでもなくて、死骸をあそこまで運んで来て身投げに見せかけたということは、水を飲んでいないことでも、また、草履の裏に土がついていないことでもよくわかる。……土どころじゃねえ、よく調べて見ると、魚の鱗がついている。……こりゃ、大川のほうから舟に積んで鎌倉河岸まで持って来たんだということがわかる。……隅田川で、都鳥で、……そこで、千鳥ガ淵よ」
「でも、千鳥ガ淵で、女たちが呉絽を織らされているだろうというのは?」
「お前、比丘尼の手を見たか」
「手がどうかなっていましたか」
「手に筬胼胝《おさだこ》ができている。……比丘尼の手なら撞木擦《しゅもくず》れか数珠《じゅず》擦れ、筬胼胝というのはおかしかろう。……どうだ、わかったか」
「わかりました。……つまり、誘拐《かどわか》された上、自分の髪で呉絽を織らされる……」
「まず、そのへんのところだ。……娘の服装《なり》で青坊主では足がつくから、尼に見せかけようというので、あんな木蘭色の衣を着せて投げ込んだ。……よほど狼狽てたと見えて衣が左前……」
「いや、これは驚きました」
「大川端の千鳥ガ淵へ行って、あの辺を捜せば、きっと、女どもが呉絽を織らされている家が見つかる。……言うまでもなく、こりゃ長崎屋の仕業なんだが……」
ひょろ松は、腰を浮かして、
「そんなら、千鳥ガ淵なんかを調べるより、長崎屋を引挙げるほうが早道です」
顎十郎は、へへ、と笑って、
「長崎屋は、もういない」
「えッ」
「さっき、通りがかりにチラと見たが、すっかり大戸をおろしていた。……素性を洗えば相当な大ものだったんだろうが、惜しいことをしたな」
ひょろ松は、がッかりして、
「もう、逃げましたか」
「なにを言っている、つまらねえ御用聞だ。素人の俺に逃げましたかと聞くやつはねえ」
ちょうど、そこへ出来てきた誂え物を押しやって、ひょろ松は、そそくさと立ち上り、
「じゃ、これからすぐ行って、千鳥ガ淵のあたりを……」
顎十郎は、手で押えて、
「まあ、慌てるな、もう一つ、話がある」
「へい」
「……れいの馬内侍の辞世だが、あれには俺もかんがえた。……いや、どうも、だいぶ頭を捻《ひね》ったよ。……ひょろ松、あの辞世には、やはりわけがあったんだ」
「おお、それは、どういう……」
「馬の尻尾を切ったぐらいで、腹を切るにはおよばねえ。裏には、なにか深い仔細があるのだと睨んだ。……その仔細までは、俺にはわからねえが、あの辞世で、なにを覚らせたがったか、すぐわかった。……夢にもつげむ、思ひおこせよ。……歌のこころは、こうだ。……なにか大事なものを隠した衣類が、どこかに置いてある、それを捜し出してくれという謎だ」
「なるほど」
「……渡辺の家は神田の小川町《おがわまち》。……衣類のある場所は『かはかつや』……。たぶん、質屋か古着屋ででもあるのだろう。『かはかつや』は川勝屋とでも書くのだろうか」
ひょろ松は、頓狂な声を出して、
「あります、あります、小川町一丁目の川勝屋といったら、大老舗《おおしにせ》の質屋です」
「それだ。……そこへ行って、渡辺が質に入れた着物をしらべて見ると、なぜ馬の尻尾で腹を切ったか、くわしくわかるにちがいない」
その夜、庄兵衛とひょろ松が、尼寺のその巣を突きとめ、踏みこんで見ると、どこからか機《はた》を織る筬の音と低い機織唄がきこえて来る。
尼寺の床下が、広い機織場になっていて、牢造りになった暗い穴蔵で、三十人ばかりの青坊主の女が、馬の落毛の撚《より》糸を経糸にし、自分らの髪の毛を梳きこんで呉絽を織らされていた。これらはみな長崎屋市兵衛とその一味が近在の機織女を誘拐して来たものだった。
渡辺利右衛門のほうには、気の毒な話があった。
ひょろ松が、顎十郎に教えられた通り、神田小川町の川勝屋へ行って、利右衛門が質入れした着物の衿をしらべて見ると、そこから細々としたためた本当の遺書が出てきた。
事情は、こうだった。
利右衛門が、まだ上総の御馬囲場でつまらぬ野馬役をしているとき、長崎屋市兵衛に五十両という金を借り、その抵当《かた》に妹のお小夜を長崎屋へ小間使につかわした。
なにをするのか知らないが、馬の落毛を集めてくれというので、言われた通り、月に三度ずつ長崎屋へ送っていたが、その後、江戸へ出て来て何気《なにげ》なく探って見たところ、近在から誘拐した女たちに馬の落毛で呉絽を織らせているということがわかった。
しかし、なんと言っても、いちどは恩になった長崎屋、みすみす自分の妹までが青坊主にされて尼寺の下で呉絽を織らされていることがわかっても、どうすることも出来ない。
表立って訴人することは心が許さぬので、思い立って、馬の尻尾を切って歩き、江戸中に騒ぎを起させ、お上の手で千鳥ガ淵の織場を捜し出させたいとねがったが、奉行所より先に長崎屋の一味にその魂胆を見抜かれ、出るにも入るにも見張りがつき、その上、密訴でもしたら妹のお小夜の命を奪ってしまうと脅迫され、せっぱ詰まって、命に代えて妹だけを助ける気になり、手紙を衿に縫いこめて、安全な川勝屋に質に入れ、謎の辞世を残して腹を切ってしまったのだった。
長崎屋は、金助町で、顎十郎たち三人の素振に気がつき、隣で立聴きして露見が近づいたことを覚り、邸を出ると飛んで帰って一味を逃がし、利右衛門への仕返しにお小夜を殺して鎌倉河岸へ投げこんだのだった。
女どもの話で、あの優雅な『都鳥』で、自分たちの悲しい織場の所在を知らせようとした智慧のある娘は、利右衛門の妹のお小夜だったということがわかった。
底本:「久生十蘭全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」三一書房
1970(昭和45)年3月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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