い、緯糸《よこいと》には駱駝《らくだ》の毛を使って織りますんでごぜえまして、シャッキリさせるためには、女の髪の毛を梳き込むとかと聞いております。いずれ、口伝のようなものがあるのでございましょう……泉州堺の織場で、いちど真似て作りかけたことがございましたが、やはり、ものにならなんだそうでございます」
顎十郎も、ひょろ松のわきから手を出して、帯地をひっぱり廻していたが、どうしたのか、ちと妙な顔つきになって、
「お番頭、それで、これはみな支那から直接に来たものなのか」
「へえ、さようでございます。……いま申した通り、日本ではまだ真似られませんのでございますから、舶来だけが、ねうちなんでございます」
「ちょっと見には、いや味だと思ったが、こうして手にとって見ると、やはり、珍重されるだけのものはある、しゃっきりしていい味わいだの。……おれも、ひとつ用いて見てえから、あッちにまだ変った柄があるなら、ちょいと見せてくれめえか」
※[#「ころもへん+施のつくり」、第3水準1−91−72]のすり切れた一張羅のよごれ袷が、なにを考えたのか、とほうもないことを言い出す。
番頭が気軽に、へい、へいと立ってゆくと、あっ気にとられたような顔をしている花世とひょろ松に、
「番頭をハカしたのはほかでもない、じつは、ちと妙なことがあるんだ」
今まで自分がいじっていた帯地の端のほうを示しながら、
「……まともに見てはわからないが、こんなふうに、すこし斜にしててらして[#「てらして」に傍点]見ると、ここに小さな都鳥が一羽見えるだろう、それ、どうだ」
花世は、帯地の端を持って、てらしてらしすかしていたが、驚いたような顔で、
「ほんに、これは、都鳥」
「ちょっと見には、経すくいの織疵のようにも見えるが、よく見ると、けっしてそうじゃない。……経緯を綾にして念を入れて織り出したものだ」
「そうですよ」
「……妙なこともあるもんだ。支那に都鳥がいるなんてことはきいたこともない。水鳥はいようが、こんな光琳《こうりん》風の図柄などを知っているはずがない」
ひょろ松は、うなずいて、
「ほんに、そうです」
「どうも、こりゃア、日本人が織ったものとしか思われねえの。……ひょっとすると、長崎屋の呉絽にはなにかいわくがあるぜ……番頭が帰って来ない間に、三人で手分けして、みんなあらためて見ようじゃないか」
花世は、きっぱりした顔つきになって、
「ようござんす。やって見ましょう」
さすがに吟味方の娘だけあって、こんなことはのみこみが早い。束にして、ズルズルと縁先へ帯地を引きずってゆき、帯の両側を手早くたぐりかえしながら、あらためていたが、
「……どうも、こっちには見えませんよ」
ひょろ松のほうにも見当らないので、
「こちらにも、ございませんね」
「……すると、あれ一本きりだったのか。……はて、いよいよもって奇異だの……なんのつもりで、骨を折ってあんなものを織り出したんだろう」
そこへ番頭が帯地の巻物を抱えて帰ってきた。
三人は三方から引っぱり合って、さり気なくあらためて見たが、今度のぶんにも、やっぱり都鳥の織出しは見つからない。
花世は、またいずれといって、長崎屋の番頭をかえすと、気味悪そうに眉をひそめ、
「どんなわけがあるのでしょう……わたしア、なんだか、こわらしくなって来ましたよ」
といっているところへ、小間使に案内されて、お琴が入って来た。
春木町の豊田屋という大きな袋物屋の娘で、花世の踊の朋輩。京人形のような顔をした、あどけない娘で、顎十郎とはごくごくの言葉|敵《がたき》である。
すぐ、顎十郎のそばへ行って、
「オヤ、阿古十さん、こんにちは。……こないだは、よくもおきらいなすッたね。……ひとが、せっかく緋桜の枝を持って行ってあげたのに、木で鼻をくくったようなあいさつをしてさ。……きょうは、かたきをとッてあげるから、おぼえておいでなさいましよ」
花世は瓶子と盃を雛壇からとりおろして来て、お琴の前におき、
「さア、しっかりおしな。……わたしがあとおしをしますよ」
顎十郎は、腕を組んでなにか考えこんだまま返事もしない。
お琴は瓶子と盃を持って立ち上ると、呉絽の帯をサヤサヤと鳴らして顎十郎のほうに行きながら、
「白酒で酔うようなおひとなら、たのもしいけれど……」
花世は、気がついて、
「おや、お琴さん、いい帯が出来ましたね、長崎屋ですか」
「ハイ、そうですよ、……綾織のいいのがありましたから帯にとりました」
といって、顎十郎に盃をさしつけ、
「さア、おあがり……かたきうちですよ」
顎十郎は、顎をなでながら、ほほ、と笑って、
「お琴さん、俺を酔わすと口説くかもしれねえぜ」
「ハイ、口説くなり、どうなとしてくださいまし。……ここでなら、こわいことなんぞ、ありませんよ」
「本当に、口説いてもいいかの」
「さあ、どうぞ」
「じゃあ、その帯を解いてください」
あどけなく、スラリと立って、帯をとき、
「はい、解きましたよ……あなたに、わちきが口説けますものか」
顎十郎は、お琴の帯を手繰りよせてその端をてらして眺めていたが、とつぜん、
「おい、ひょろ松、……花世さん、ここにも、都鳥が!」
と、いった。
比久尼《びくに》
次の日の朝、いつものように部屋借の二階で寝ころがっていると、階下の塀の外で、おいおい、と権柄《けんぺい》に呼ぶものがある。
顎十郎が窓から首を出して見ると、叔父の庄兵衛が、赤銅《しゃくどう》色の禿頭から湯気を立てながら往来に突っ立っている。
赭ら顔の三白眼で、お不動様と鬼瓦をこきまぜたような苦虫面。ガミガミいうためにこの世に生れて来たような老人だが、これで内実はひどく人がいい。お天気で、単純でおだてに乗りやすく、顎十郎づれに、いつもうまうましてやられて、そのたびにすくなからぬ小遣をせしめられる。
叔父を叔父とも思わぬ横着千万な甥が忌々しくて癇にさわってならぬのだが、そのくせ、なんだか無茶苦茶に可愛い。
どこかとぼけた、悠々迫らぬところがあって、なかなか見どころのあるようだと思っているんだが、例の強情我慢で、そんなこころはけぶりにも見せぬ。顔さえ見れば眼のかたきにして口やかましくがなりつける。
ところで、顎十郎のほうはちゃんとそれを見抜いている。面は渋いが心は甘い、もちゃげてさえ置けばこちらの言いなりと、てんからなめてかかっている。
窓框に頬杖をついて、夕顔なりの長大な顎を掌でささえ、ひとを小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いをしながら、
「いよウ、これは、ようこそ御入来《ごじゅらい》」
庄兵衛は、たちまち眼を三角にして、
「ようこそご入来とは緩怠至極。……これ貴様、このおれをなんだと心得ておる。やせても枯れても……」
「……北番所の与力筆頭、ですか。……いつも、きまり文句ですな。まあ、そうご立腹なさるな、あまり怒ると腹形《はらなり》が悪くなりますぜ。……しかし、なんですな、こうして、真上からあなたのお頭《つむ》を拝見すると、なかなか奇観ですよ、真鍮の燈明皿にとうすみ[#「とうすみ」に傍点]が一本載っかっているようですぜ」
言いたい放題なことをぺらぺらまくし立てると、急にケロリとして、
「ときに、わざわざお運びになった御用件はなんです。……とても俺の手におえぬ事件が起きたから、どうか智慧を貸してくれと言われるんでしたら、切っても切れねえ叔父甥の間柄、いつでもお手助けいたしますよ」
庄兵衛は、膝を掻きむしって立腹し、
「この大馬鹿ものッ!……言わして置けば野放図《のほうず》もない。……こ、この俺が貴様などの智慧を借りるようで、天下の吟味方がつとまると思うか、不埓ものめ」
顎十郎は、のんびりと上から見おろしながら、
「ほほう、では、なにかほかに」
「今朝ほど、鎌倉河岸《かまくらがし》へ風変りな死体が浮き上ったというから、南組が出役せぬうちに、後学のために見せてやろうと思って、それで、こうしてわざわざ迎いに来てやったのだわ、有難く心得ろ。……これ、いつまでもそんなところに頬杖をついていずと、さっさと降りて来ぬか。この、大だわけ」
内実はそうじゃない。
最後までとうとう弱味を見せなかったが、この間の印籠の件では顎十郎がきわどいところで自分の窮境を救い、なにもかも自分の手柄にして、この叔父に花を持たせてくれたのだとさとった。
不得要領な顔をしてニヤニヤ笑ってばかりいるが、あれだけのアヤを逸早く洞察し、あんな沈着な処置をとれる鋭い頭の持主は、見渡すところ自分の組下にはいない。これが血につながる自分の甥だと思うと、ぞくぞくうれしさがこみ上げてくる。
うまく釣り出して、今度の水死人をモノにさせ、庄兵衛組と北奉行所の名をあげよう魂胆なのである。
二人が鎌倉河岸につくと、南組のお先手はまだ来ていない。
死体はまだ水の中に漬けたままにしてあって、二人が河岸っぷちに寄って行くと、非人がグイと水竿《みさお》で岸へ引寄せる。
年ごろは二十二三。ひどく面やつれのした中高《なかだか》な顔で、額にも頬にも皺が寄り、胸は病気のせいか瘠せて薄くなり、腹はどの水死人にもあるように肥満してはいない。
木蘭色《もくらんじき》の直綴《ころも》を着ているが、紅い蹴出しなどをしていないところを見ると、ころび比丘尼ではなく、尼寺にいたものらしく思われる。岸に、踵のまくれ上った、玉子ねじの鼻緒のすがった比丘尼草履がきちんとぬいである。
顎十郎は、うっそりと懐手をして突っ立ったまま草履を眺めていたが、それを手にとって素早く表裏へ眼を走らせると、無造作に地べたに投げ出す。
ようやく南組の同心がやって来て、あっさりと検視をすませ、手控をとると庄兵衛に目礼して引取って行った。
入りちがいに、ひょろ松がやって来た。
庄兵衛は、せっかちに問いかけて、
「どうだった、身許がわかったか」
ひょろ松は、汗を拭きながら、
「いえ、それが妙なんで、下ッ引を総出にして江戸中の尼寺はもちろん、御旅所《おたびしょ》弁天や表櫓《おもてやぐら》の比丘尼宿を洩れなく調べましたが、家出した者も駈落ちした者もおりません。……非人|寄場《よせば》の勧化《かんげ》比丘尼のほうも残らず浚《さら》いましたが、このほうにもいなくなったなんてえのは一人もねえんです。……ご承知のように、比丘尼の人別ははっきりしていて、府内には何百何十人と、ちゃんと人数がわかっているものなんですが、それに一人の不足もない。……いってえ、この比丘尼は、どこから来て、どういう筋合で身を投げたものか……」
顎十郎は、二人のうしろに立って話を聴いていたが、だしぬけに口を挾み、
「なるほど比丘尼の人別にないわけだ。……叔父上、これは、お化けですぜ。見てみると、草履の裏に泥がついていないが、お化けなら、それくらいのことはやらかしましょう。……こういうのが冥土の好みなのかも知れねえ、いやはや、おっかねえね」
と、例によって、わけのわからぬことをいう。
庄兵衛はそしらぬ顔をして顎十郎がつぶやくのをきいていたが、急になにか思い当ったように、うしろに引きそっているひょろ松の耳に口をあててささやく。
ひょろ松は、蚊とんぼのようにひょろ長い上身をかがめて一礼すると、きびすをかえして一ツ橋のほうへいっさんに駈け出して行った。
顎十郎は、へへら笑いをし、
「……叔父上、どうしようてえのです。……いくら追いかけたって、相手がお化けじゃ追いつけるはずがねえ。無駄だからおよしなさい。……比丘尼の土左衛門なんざ、おかげがねえでさ。ほったらかして置くにかぎります」
庄兵衛は、威丈高になって、
「えッ、うるさい! 貴様などになにがわかる。……貴様はよもや気がつかなかったろうが、あれは、死体にわざわざ衣を着せて堀の中に投込んだものだわ。その証拠に、すこしも水を飲んでおらん」
顎十郎は、横手をうって、
「いよウ、えらい、さすがは吟味方筆頭、そこまでわかれば大したもんだ、と言いたいが、その位のことは子供でもわかる」
庄兵衛は、
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