い眼元をほほえませて、
「おや、お揃いで……。いま、じッきお相手してあげますから、ちッと待っていらッしゃい……もうじき、お琴さんも見えましょうから、そうしたら、みんなで一杯のみましょう」
 雛壇の瓶子《へいし》を指さし、
「あッちのほうには、そのつもりで、そっと辛いのを仕込んでおきましたのさ」
「ほッほ、いつもながら、よく気がつくの。……花世さん、おめえのお婿さんが、うらやましい」
「おやおや、あまり、まごつかせないでくださいまし、番頭さんが、おかしがっているじゃアありませんか」
 と言って、巻物のほうへ向き直り、
「……ねえ、長崎屋さん、畝織《うねおり》もいいが、そちらの平織《ひらおり》もおとなしくッていいねえ、ちょいと拝見な」
 番頭は、しきりに揉手をして、
「どちらかと申せば、この平織の方がずんとこうと[#「こうと」に傍点]でござります……もっとも、お値段のほうも、こちらのほうが、しょうしょうお高くなっておりますが、へい」
 呉絽は文政のころに支那から舶載され、天鵞絨《びろうど》、サヤチリメン綸子《りんず》、鬼羅錦織《きらきんおり》などとともに一時流行しかけた。天保十三年の水野忠邦の改革でおさえられ、自然と舶載もとまったが、昨年の秋ごろ、長崎屋という呉服屋が京橋に店をひらき、支那から仕入れた呉絽を一と手に売り出したので、金に糸目をつけぬおおどこの娘や芸者が競って買い求め、年増は小まん結びに、若向きは島原結びというのにするのがこのごろの流行《はやり》。
 しかし、なにしろ、一巻五十両から、ちょっとましになると三百両、四百両というのだから、庶民階級にはとても手がとどかない。しゃっきりとして皺にならず、そのうえ、なんともいえぬ味があるので、呉絽でなければ帯でないようなありさま。仕入れる片っぱしから羽根が生えたように売れるから、長崎屋の利益は莫大。
 はじめは三間間口の、せいぜい担ぎ呉服程度だったのが、両隣りを二軒買いつぶして、またたく間に十二間間口の大店になってしまった。
 ひょろ松は、畳の上にいくつも敷きひろげられた呉絽の帯地を眺めながら、
「なんだか、スバスバして素ッ気のねえもんだが、流行というものはみょうなものだ……番頭さん、これは、ぜんてえなんで織るのだね」
「へえ、これは支那の河西《かせい》の名産でございまして、経糸《たていと》には羊の梳毛《すきげ》をつかい、緯糸《よこいと》には駱駝《らくだ》の毛を使って織りますんでごぜえまして、シャッキリさせるためには、女の髪の毛を梳き込むとかと聞いております。いずれ、口伝のようなものがあるのでございましょう……泉州堺の織場で、いちど真似て作りかけたことがございましたが、やはり、ものにならなんだそうでございます」
 顎十郎も、ひょろ松のわきから手を出して、帯地をひっぱり廻していたが、どうしたのか、ちと妙な顔つきになって、
「お番頭、それで、これはみな支那から直接に来たものなのか」
「へえ、さようでございます。……いま申した通り、日本ではまだ真似られませんのでございますから、舶来だけが、ねうちなんでございます」
「ちょっと見には、いや味だと思ったが、こうして手にとって見ると、やはり、珍重されるだけのものはある、しゃっきりしていい味わいだの。……おれも、ひとつ用いて見てえから、あッちにまだ変った柄があるなら、ちょいと見せてくれめえか」
 ※[#「ころもへん+施のつくり」、第3水準1−91−72]のすり切れた一張羅のよごれ袷が、なにを考えたのか、とほうもないことを言い出す。
 番頭が気軽に、へい、へいと立ってゆくと、あっ気にとられたような顔をしている花世とひょろ松に、
「番頭をハカしたのはほかでもない、じつは、ちと妙なことがあるんだ」
 今まで自分がいじっていた帯地の端のほうを示しながら、
「……まともに見てはわからないが、こんなふうに、すこし斜にしててらして[#「てらして」に傍点]見ると、ここに小さな都鳥が一羽見えるだろう、それ、どうだ」
 花世は、帯地の端を持って、てらしてらしすかしていたが、驚いたような顔で、
「ほんに、これは、都鳥」
「ちょっと見には、経すくいの織疵のようにも見えるが、よく見ると、けっしてそうじゃない。……経緯を綾にして念を入れて織り出したものだ」
「そうですよ」
「……妙なこともあるもんだ。支那に都鳥がいるなんてことはきいたこともない。水鳥はいようが、こんな光琳《こうりん》風の図柄などを知っているはずがない」
 ひょろ松は、うなずいて、
「ほんに、そうです」
「どうも、こりゃア、日本人が織ったものとしか思われねえの。……ひょっとすると、長崎屋の呉絽にはなにかいわくがあるぜ……番頭が帰って来ない間に、三人で手分けして、みんなあらためて見ようじゃないか」
 花世は、
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