きっぱりした顔つきになって、
「ようござんす。やって見ましょう」
 さすがに吟味方の娘だけあって、こんなことはのみこみが早い。束にして、ズルズルと縁先へ帯地を引きずってゆき、帯の両側を手早くたぐりかえしながら、あらためていたが、
「……どうも、こっちには見えませんよ」
 ひょろ松のほうにも見当らないので、
「こちらにも、ございませんね」
「……すると、あれ一本きりだったのか。……はて、いよいよもって奇異だの……なんのつもりで、骨を折ってあんなものを織り出したんだろう」
 そこへ番頭が帯地の巻物を抱えて帰ってきた。
 三人は三方から引っぱり合って、さり気なくあらためて見たが、今度のぶんにも、やっぱり都鳥の織出しは見つからない。
 花世は、またいずれといって、長崎屋の番頭をかえすと、気味悪そうに眉をひそめ、
「どんなわけがあるのでしょう……わたしア、なんだか、こわらしくなって来ましたよ」
 といっているところへ、小間使に案内されて、お琴が入って来た。
 春木町の豊田屋という大きな袋物屋の娘で、花世の踊の朋輩。京人形のような顔をした、あどけない娘で、顎十郎とはごくごくの言葉|敵《がたき》である。
 すぐ、顎十郎のそばへ行って、
「オヤ、阿古十さん、こんにちは。……こないだは、よくもおきらいなすッたね。……ひとが、せっかく緋桜の枝を持って行ってあげたのに、木で鼻をくくったようなあいさつをしてさ。……きょうは、かたきをとッてあげるから、おぼえておいでなさいましよ」
 花世は瓶子と盃を雛壇からとりおろして来て、お琴の前におき、
「さア、しっかりおしな。……わたしがあとおしをしますよ」
 顎十郎は、腕を組んでなにか考えこんだまま返事もしない。
 お琴は瓶子と盃を持って立ち上ると、呉絽の帯をサヤサヤと鳴らして顎十郎のほうに行きながら、
「白酒で酔うようなおひとなら、たのもしいけれど……」
 花世は、気がついて、
「おや、お琴さん、いい帯が出来ましたね、長崎屋ですか」
「ハイ、そうですよ、……綾織のいいのがありましたから帯にとりました」
 といって、顎十郎に盃をさしつけ、
「さア、おあがり……かたきうちですよ」
 顎十郎は、顎をなでながら、ほほ、と笑って、
「お琴さん、俺を酔わすと口説くかもしれねえぜ」
「ハイ、口説くなり、どうなとしてくださいまし。……ここでなら、こわいことなんぞ、ありませんよ」
「本当に、口説いてもいいかの」
「さあ、どうぞ」
「じゃあ、その帯を解いてください」
 あどけなく、スラリと立って、帯をとき、
「はい、解きましたよ……あなたに、わちきが口説けますものか」
 顎十郎は、お琴の帯を手繰りよせてその端をてらして眺めていたが、とつぜん、
「おい、ひょろ松、……花世さん、ここにも、都鳥が!」
 と、いった。

   比久尼《びくに》

 次の日の朝、いつものように部屋借の二階で寝ころがっていると、階下の塀の外で、おいおい、と権柄《けんぺい》に呼ぶものがある。
 顎十郎が窓から首を出して見ると、叔父の庄兵衛が、赤銅《しゃくどう》色の禿頭から湯気を立てながら往来に突っ立っている。
 赭ら顔の三白眼で、お不動様と鬼瓦をこきまぜたような苦虫面。ガミガミいうためにこの世に生れて来たような老人だが、これで内実はひどく人がいい。お天気で、単純でおだてに乗りやすく、顎十郎づれに、いつもうまうましてやられて、そのたびにすくなからぬ小遣をせしめられる。
 叔父を叔父とも思わぬ横着千万な甥が忌々しくて癇にさわってならぬのだが、そのくせ、なんだか無茶苦茶に可愛い。
 どこかとぼけた、悠々迫らぬところがあって、なかなか見どころのあるようだと思っているんだが、例の強情我慢で、そんなこころはけぶりにも見せぬ。顔さえ見れば眼のかたきにして口やかましくがなりつける。
 ところで、顎十郎のほうはちゃんとそれを見抜いている。面は渋いが心は甘い、もちゃげてさえ置けばこちらの言いなりと、てんからなめてかかっている。
 窓框に頬杖をついて、夕顔なりの長大な顎を掌でささえ、ひとを小馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いをしながら、
「いよウ、これは、ようこそ御入来《ごじゅらい》」
 庄兵衛は、たちまち眼を三角にして、
「ようこそご入来とは緩怠至極。……これ貴様、このおれをなんだと心得ておる。やせても枯れても……」
「……北番所の与力筆頭、ですか。……いつも、きまり文句ですな。まあ、そうご立腹なさるな、あまり怒ると腹形《はらなり》が悪くなりますぜ。……しかし、なんですな、こうして、真上からあなたのお頭《つむ》を拝見すると、なかなか奇観ですよ、真鍮の燈明皿にとうすみ[#「とうすみ」に傍点]が一本載っかっているようですぜ」
 言いたい放題なことをぺらぺらまくし立てると、急にケロリとして
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング