やく南組の同心がやって来て、あっさりと検視をすませ、手控をとると庄兵衛に目礼して引取って行った。
 入りちがいに、ひょろ松がやって来た。
 庄兵衛は、せっかちに問いかけて、
「どうだった、身許がわかったか」
 ひょろ松は、汗を拭きながら、
「いえ、それが妙なんで、下ッ引を総出にして江戸中の尼寺はもちろん、御旅所《おたびしょ》弁天や表櫓《おもてやぐら》の比丘尼宿を洩れなく調べましたが、家出した者も駈落ちした者もおりません。……非人|寄場《よせば》の勧化《かんげ》比丘尼のほうも残らず浚《さら》いましたが、このほうにもいなくなったなんてえのは一人もねえんです。……ご承知のように、比丘尼の人別ははっきりしていて、府内には何百何十人と、ちゃんと人数がわかっているものなんですが、それに一人の不足もない。……いってえ、この比丘尼は、どこから来て、どういう筋合で身を投げたものか……」
 顎十郎は、二人のうしろに立って話を聴いていたが、だしぬけに口を挾み、
「なるほど比丘尼の人別にないわけだ。……叔父上、これは、お化けですぜ。見てみると、草履の裏に泥がついていないが、お化けなら、それくらいのことはやらかしましょう。……こういうのが冥土の好みなのかも知れねえ、いやはや、おっかねえね」
 と、例によって、わけのわからぬことをいう。
 庄兵衛はそしらぬ顔をして顎十郎がつぶやくのをきいていたが、急になにか思い当ったように、うしろに引きそっているひょろ松の耳に口をあててささやく。
 ひょろ松は、蚊とんぼのようにひょろ長い上身をかがめて一礼すると、きびすをかえして一ツ橋のほうへいっさんに駈け出して行った。
 顎十郎は、へへら笑いをし、
「……叔父上、どうしようてえのです。……いくら追いかけたって、相手がお化けじゃ追いつけるはずがねえ。無駄だからおよしなさい。……比丘尼の土左衛門なんざ、おかげがねえでさ。ほったらかして置くにかぎります」
 庄兵衛は、威丈高になって、
「えッ、うるさい! 貴様などになにがわかる。……貴様はよもや気がつかなかったろうが、あれは、死体にわざわざ衣を着せて堀の中に投込んだものだわ。その証拠に、すこしも水を飲んでおらん」
 顎十郎は、横手をうって、
「いよウ、えらい、さすがは吟味方筆頭、そこまでわかれば大したもんだ、と言いたいが、その位のことは子供でもわかる」
 庄兵衛は、
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