て使え」
「へえ」
「なにかまだ要るものがあるか」
職人はハッハッと肩で息をして、
「割箸を一ぜん……副木《そえぎ》をやるので……」
「割箸なら眼の前にある。……蓋物の横についている」
「へえ」
「お次ぎはなんだ」
「………」
顎十郎は、懐手をしたまま不得要領な顔をしていたが、フンと鼻で笑って、
「お次ぎは……俺の命か」
職人は、たちまち人がちがったような凄惨な面つきになって、
「ちッ、痴《こけ》だと思って、油断したばっかりに!」
腹掛けの丼の中へ手を突っこんでギラリと匕首《あいくち》を引きぬくと、縁に飛び上りざま、
「くたばれ!」
片手薙に突きかかるのを、肱を掴んで庭先へ突放し、
「じたばたするな……高麗芝《こうらいしば》を荒すと、叔父がおこるぞ」
とても手に合う相手でないと思ったか、職人は匕首を下げたまま血走った眼をキョトキョトと裏木戸のほうへ走らせながら、
「野郎……桝落しにかけやがったか!」
顎十部は、依然たる泰平な面もちで、
「冗談言うな、……裏木戸はちゃんとあいている。……俺は手先じゃねえ、例繰方だ。盗人《ぬすっと》の肩に手をかけるような真似はしないのだ。……さア、逃げ出せ、……あとで手先を向けてやる」
呆気にとられて、棒立になっているのへ、
「おい、お前は狐だろう」
「えッ、なんだとッ」
「笠森稲荷から叔父を呼び出しにくる以上、狐の眷属に相違あるまい」
職人は、ジリジリとあとしざりをしながら、
「ああ、狐だよ、九尾の狐だ。……小癪な真似をして、あとで臍《ほぞ》を噛むなよ。……放されたうえは、手前なんぞに掴まるものか」
顎十郎は、長大な顎のはしをつまみながら、
「いや、そうはいかん。……俺は捕まえぬが、必ず叔父がつかまえる。……あれでなかなか感のいいほうだから、この万年青の鉢の底にあるお前の印籠の高肉彫を見たら、稲を啣えた野狐の図は、むかし、堀江大弼《ほりえだいひつ》の指物絵だったことを思い出すにちげえねえ、……なア、堀江」
職人は見るみる蒼白《まっさお》になって、俯向いて唇を噛んでいたが、匕首を腹掛の丼におさめると、首を垂れたまましずかに出て行った。
顎十郎が錦明宝の鉢を叔父の文机の上に据えて待っていると、夕方近くなって庄兵衛が鼻のあたまを赤くして、かんかんに腹を立てて帰って来た。
顎十郎は、えへら笑いをしながら、
「どうした
前へ
次へ
全14ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング