、あなたでしたか」
「はい、いかにも、さよう……」
「えへん、あなたも、だいぶお人が悪いですな、わたしがお武家のように見えますか」
「なんと言われる」
「手前は、お武家なんという柄じゃない、お武家からにごり[#「にごり」に傍点]を取って、せいぜい御普化《おふけ》ぐらいのところです」
「いや、どうして、どうして」
「行というのは、まあ、たいていこうしたものなんでしょうが、でも、こんなところに坐っていると冷えこんで疝気《せんき》が起きますぜ。……いったい、どういう心願でこんなところにへたりこんでいるんですか」
「わしはな、ここであなたをお待ちしておったのじゃ」
「手前を?……こりゃ驚いた。手前は生れつきの風癲《ふうてん》でね、気がむきゃ、その日の風しだいで西にも行きゃあ東にも行く。……今日は自分の足がどっちへむくのか、自分でもはっきりわからないくらいなのに、その手前がここを通りかかると、どうしてあなたにわかりました」
老僧は、長い鬚をまさぐりながら、
「この月の今日、申の刻に、あなたがここを通りあわすことは、未生《みしょう》前からの約束でな、この宿縁をまぬかれることは出来申さぬのじゃ」
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