「飛んでもねえことをしやがる。やい、待てッ……」
 砂利を蹴って後先になってバラバラと追いかけて来る。
「糞でも喰え、だれが待つか」
 じぶんも大きな声で、泥棒、泥棒と叫びながら潜り門のほうへ駈けだし、
「お門番、お門番、いまそこへ盗人が走って行きます」
 詰所で将棋を差していた門番が、驚いて駒を握ったまま飛びだして来る。
「やいやい、なにを騒いでいやがるんだ」
 顎十郎は、息せき切って、
「ど、泥棒。……いま、ぬすっとが逃げて行きました」
「馬鹿をいえ、そんなはずはない」
「はずにもなにも……あれあれ、あそこへ……」
 待て待て、そのぬすっと待て、と叫びながら潜り門を飛びだす。
 和田倉門のほうへ行かずに、町奉行の役宅の塀についてトットと坂下門のほうへ駈けながら、うしろを振りかえって見ると、番衆や同心に公事師もまじって、一団になってワアワアいいながら追いかけて来る。……どっちへ逃げてもお濠のうち。
 紅葉山の下を半歳門のほうへ走りだして見たが、このぶんでは半蔵門で捕るにきまっている。
「ままよ、どうなるものか、西の丸の中に逃げこんでしまえ」
 幸いあたりに人がない。
 躑躅《つつ
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