やったが、なにしろ、甲府というところは山ばかり。勤番衆といえば名だけはいかめしいが、徳川もそろそろ末世で、いずれも江戸を喰いつめた旗本の次男三男。端唄や河東節《かとうぶし》は玄人跣足《くろうとはだし》だが、刀の裏表も知らぬようなやくざ侍ばかり。
やくざのほうでは負《ひけ》は取らないが、その連中、気障《きざ》で薄っぺらで鼻持ちがならない。すっかり嫌気がさして甲府を飛びだし、笹子峠を越えて江戸へ帰ろうとする途中、不意に気が変って上総のほうへひン曲り、半年ばかりの間、木更津や富岡の顔役の家でごろごろしていたが、急に江戸が恋しくなり、富岡を発ったのがつい一昨日《おととい》。今度はどうやら無事に江戸まで辿りつけそう。
諸懐手《もろふところで》。袂を風にゆすらせながら、不知森のそばをノソノソと通りかかると、薄暗い森の中から、
「……お武家、お武家……」
たいして深い森ではないが、むかしから、この中へ入ると祟りがあると言いつたえて、村人はもちろん、旅の者も避けるようにして通る。
絶えて人が踏みこまぬものだから、森の中には落葉が堆《うず》高く積み、日暮れ前から梟《ふくろう》がホウホウと鳴く。
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