ノンシャラン道中記
燕尾服の自殺 ――ブルゴオニュの葡萄祭り――
久生十蘭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)廻《めぐ》る

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|渡り見世物《フォラン》師

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)久生十蘭全集 6[#「6」はローマ数字、1−13−26]
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 一、因果は廻《めぐ》る小屋馬車《ルウロット》の車輪。さわやかな初秋の風が吹きまわるある午後のこと、雛壇《ひなだん》のように作られた、ソオヌ谷の、目もはるかな見事な葡萄畑の下を、通常、「無宿衆《ノマアド》」と呼ばれる|渡り見世物《フォラン》師の古びた小屋馬車《ルウロット》が、やせた二匹の馬にひかれてのろのろと埃りをあげながら進んで行った。
 このあたりは、「オオル・リイニュ」とか、「タン・ド・クウヴ」などという名高い赤葡萄酒を産出するブウルゴオニュ州の西南の谷間で、ヴェニス提灯《ちょうちん》ほどもある大きな葡萄の房《ふさ》が互いに触れあってチリン・カリンと鳴っているのである。
 そもそも、ブウルゴオニュとフランシュゴンテの間にある町々をまわって歩く|渡り見世物師《フォラン》の秋の大きな書入れというのが、九月の三日から始まるモントラシェの葡萄祭りがそれなので、その日はいろいろな山車《だし》やただ飲み台などが沢山に出てて見世物師や渡り音楽師が山ほど集って来たって、これで充分だという事はない。
 この小屋馬車《ルウロット》も多分、そちらの方を目ざして進んでゆくのであろうが、この風体ではあまりたいした商売物《ネタ》を積んでいるわけではなかろう、というのは、六つの家の扉《ドア》の鎧扉《よろいど》はみなち切れて飛び、横腹に書かれた、下腹のふくれた天使やヴァイオリンの模様もすでに半ばはげ、屋根の上の炊事用の煙突さえ見る影もなく傾いているからである。
 御者台にはゆであげたように赤い色をした背の低い男……というよりは一種の脂肪の塊りと、お河童頭《かっぱあたま》の、妙齢《としのころ》十八九歳ばかりとも見える Made in Japan のお嬢さんが坐っていて、御者の唄う歌に調《あわ》せて手拍子を打っているのである。御者は大きな麦わら帽子を揺すりながら、
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