こんなふうに陽気な唄を歌っているのである。

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パタション・パタポン
俺の内儀《かみ》さん
また逃げ出した
どこへ行ったか
わからない。……
[#ここで字下げ終わり]

 すると、響が物に応じるように小屋馬車《ルウロット》の中からは、そのたびに、
「うわアい、歌をやめてくれえ、足が痛い、ちぎれそうだ」とわめく声がもれて来るのだ。そこで、試みに窓から中をのぞいて見ると、こじんまりと作られた寝台の上には、身体《からだ》中を繃帯《ほうたい》でぐるぐる巻きにされた、コントラ・バスの研究生、狐のコン吉が、繩のようになってたぐまっている、その枕もとには、水槽の水から首だけをつん出した一羽のペンギン鳥が、キョトンとして天井を見あげていた。

 そもそもかく成り果てた顛末《てんまつ》を申し述べると、この男女二人の東洋人は、せんぱん、地球引力の逆理を応用して、奇抜なるアルプス登山を企てたが、不幸にして突風の襲うところとなり、クウルマイエールの谷間に墜落、ヒカゲノカツラの中で呻吟《しんぎん》中、これなる無宿衆バルトリ君ならびに同山の神氏に救助され、いまやモントラシェの町立病院に運ばれる途中なのである。
 ところでバルトリ君の妻君なるものは、その昔ブルタアニュ海岸の一孤島、「|美しき島《ベリイル》」で、八人の手に負えぬ小供を両人にたくし、飄然駆け落ちの旅に出発したジェルメーヌ後家その人であったというのは、これも宿世《すくせ》の因縁といわねばなるまい。しかるにその夜、ジェルメーヌ後家は次のような一通の手紙を残したまま、またもや姿を消したのである。しかし、この文面にも示す通り、このたびは前回のような仇《あだ》な話ではない様子である。
 二、書き残し候、葡萄を盗んで喰べること。おなつかしいお二人さま。せんぱんは私の子供たちのお世話を願い、今度は空から落ちたお二人さまをお拾いしたというのも、なにごともみな天の配剤でございます。承《うけたまわ》りますれば私の大切な八人の小供はフランスの政府にお預けになったとのこと、私はこれからフランスの政府にゆき、談判いたしましてぜひとも子供たちを引き取って来るつもりでございます。それが駄目なら、せめて利子だけでも受け取らなくては、こんな間尺に合わない話はありません。私の旅費といたしましてはバルトリの貯金箱の金をみな持ってゆきますから、お二人
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