スちまち活況を呈してそっちへ駆け寄り、そばの肥満紳士に、
「戦争ですか。飛行機ですか」と、あわただしくたずねると、紳士は唇に指を立て、
「しっ! |緑の光峰《エイギュイユ・ヴェルト》の氷壁で三人の男が落ちかかって綱一本でぶらさがってるのです」
「うわア! これは大変」とコン吉が、人垣を押し分けて円陣の中心をのぞくと、|C・A・F《フランス・アルプスくらぶ》の徽章をつけた男が、眺望鏡に目を押しあてて、一心に空をみつめながら、金切り声で、不幸な一行の動静を披露《アノンセ》している。
「あ、落ちます、落ちます。……先登《テエト》の山案内《ギイド》は必死に岩鼻にしがみついていますが、もう三人を支える力がない……。最後《クウ》の奴はしきりに足場《トラアス》を刻もうとしていますが、斧《アックス》は壁へ届きません。……揺れ出した、揺れ出した、……風が出て来たと見えて、時計の振り子のように動いています。……あ、あ、畜生、なにをするんだ。……先登《テエト》は片手を離しました。……あ、また抱きつきました。……|偉いぞ《ブラヴォ》、|偉いぞ《ブラヴォ》!……そこを離すな、もう少しだ。……あああッ!……いけな
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