b玉廻し役《クルウピエ》の懸け声もきかれようという。右行左行するものは遊子粋客にあらざれば、偽装いかめしい|氷海の見物客《メール・ド・グラス》ばかり、かいがいしい登山者は町はずれででもなければ見当らない。
そのシャモニイの町の、停車場に近い英国教会の墓地から、飄々と立ち現われて来たのはタヌキ嬢ならびに狐のコン吉の二人連れ。なにやら浮かぬ顔をしてしきりに爪を噛んでいたコン吉が、
「いや、なかなかすごいものだね、タヌ君。君、いまの碑銘を読んだかね。(ロバートソンの足の指をここに葬る。残余はタッコンナの氷の下にあり)なんてのは、どうもさんざんな最期だね。残った部分がこう少なくては保険会社でも弁済の法がつくまい。桑原、桑原」というとタヌは眉をひそめて、
「でも爪の伸びた足の指なんて不潔ね。あたしなら、そうね、うす桃色の耳かなんか残してやるつもりよ。……それはそうと、あっちにずいぶん人だかりがしてるけど、……」
コン吉がその方を見ると、町役所の土壇《テラッス》に持ち出された大眺望鏡を十重|二十《はた》重に取り囲んだ群集が、いずれも殺気だった面持で虚空をみつめているので、日ごろ物見高いコン吉は
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